LGBTの家族と友人をつなぐ会ブログ

レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの家族や友人による会のブログです。

多様な人間を認め合う社会に

2006年05月29日 | Weblog
 先日神戸新聞で、7歳の性同一性障害の男児の記事を読んだ。
まず、親がその子の意思を尊重できる人で、この子は救われたといえる。そしてまた、幼いからこそ、学校側も女児として受け入れられたのだろう。これがもし20歳の男性だったら、いやたとえ14~15歳の思春期の少年であっても「何をいまさら血迷っているんだ!」と父親に一喝されるなり、そのうち治るだろうと無視されるなり、場合によっては勘当されて事は終わっていたかもしれない。そして当人は、自分らしく生きることがこの社会では困難であると知り、姿を隠す。そんな例は数限りない。それが怖くて、みんな親にはカミングアウトできないのだから。

 この子は「男性器がついているからあなたは男の子なのよ」と母親がいくら言っても「女の子なのにどうしてついてるの?」「いつになったらとれるの?」と聞き返したという。これは幼児からのカミングアウトだ。今まで親の持っていた性の知識からは判断できない事態。こんなとき親は大事な鍵を握っている。その子が生きるも死ぬも親次第。もし親が誰に相談することもなく、子どもに自分の知っている生き方だけを強制してしまったら、その子の人生はどうなってしまうだろう。その子をありのまま受け入れ、学校側に掛け合った親の判断はすばらしいと思う。
  
 考えてみると同性愛者の場合もまったく同じ展開だ。ただこの児童の場合は障害と名がつけられ、診断書がついてくる。その分、理解されやすいと言えるかもしれない。実際性同一性障害については、国も性別記載の変更等を認めたりと、認識を変え始めている。ところが同性愛者の場合は障害でもなければ、病気でもないので、当然診断書はついてこない。ついてくるのは昔からの「異常」「変態」という偏見だけだ。本人が人を好きにならなければわからないから、幼児ではカミングアウトはできない。「ぼくは男だけど男が好きなんだ」「私は女だけど男を好きにはなれないの」こう言える頃にはもう幼児ではないし、ある程度思慮分別ができる年齢になっている。世間が自分のような人間をどう扱っているかもわかるようになっている。また、恥ずかしくて自分をまともにさらけ出せない思春期という年齢を迎えているから、それだけでもうカミングアウトなどできない。隠れてしまう。親からも、社会からも。その結果、世間からはいないものと判断される。こんな悲しいことはない。

 今回のことでは親も学校側も慌てたことだろう。でも幸運なことが一つある。この児童を取り巻く人たちは、成長するにつれて起こりうる問題に対処していくために、少なからず性というものについて勉強しなければならないだろう。先生だけではなく、同じクラスの、また同じ学校の児童の親たちも。なぜなら正直な子どもたちからいつどんな質問が飛び出すかわからないからだ。そういう意味では世間に先駆けて正しい性の知識を持つ機会に恵まれたといえる。いや、是非そういう機会を作ってほしい。そして、子どもに堂々と正しい「性」を語れる親になってもらいたい。

 もうそろそろこの辺りで、みんなが人間の性を正しく認識することを始めたいものだ。 「せーの」で一斉にみんながカミングアウトできればどんなにいいかと思う。そして周りの人がその勇気に拍手を送る。そして性の多様性を認め合う社会を作るのだ。また今回の結果から考えると、行政側はどうやら医者や学者に弱いらしい。それならば日本中の医者や学者の力を集め、正しく性を理解することがいかに必要かを国に訴えてもらおう。正しいことを知っているのに、そんな人たちが静かにしているから世の中なかなか変わらないのだ。一日も早く教育が取り上げ、「世間のこれまでの認識は間違っています。人間は男と女という2種類にはっきりと分かれているものではありません。性とは多様なものなのです」と教科書に書いてもらおうではないか。

 女性差別だ、セクハラだ、男女共同参画だ、性別記載撤廃だ、同性婚だ。いずれの問題も、性という人間の基本の認識を正さずに取り組もうとするからややこしくなる。四則計算がわからない子に、分数計算を解いてみろと言うに等しい。

 正しい性教育、始めなければならない。性は固定されたものではない。人間はいつの時代も多様なのだ。それを理解するところからすべてを始めなければ。

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カミングアウトに思うこと

2006年05月29日 | Weblog
  ☆今回は、生前、マスコミの歪んだ情報に対して声をあげ続けた、故馬場英行さんのお父様から投稿をいただきました。ご子息が亡くなられたあとも、ご夫婦でセクシャルマイノリティの人権のために活動を続けておられます。


 先日、兵庫の小2の男児が性同一性障害らしいとのドクターの判断のもとに、その児童の学校では女児の扱いをし、教員もそれを認識した行動をとっているとの報道がありました。しかし同時に、第2次性徴期以前の子どもの訴えで、将来はまだ判らないとのことでした。
この記事で私が強く感じたことは、親が子どものことを受け入れて、子どものために心を砕いていることです。

多くのセクシァルマイノリティは、中学生時分から自分の性的指向について悩みだしますが、友人には打ち明けられても、親には打ち明けられない人が殆どです。
私の息子も相当の期間、親に打ち明けられずにいましたが、ある日思い切って打ち明けました。2~3ヶ月は両親共、驚きと、自分たちの持っていた家族の将来像について全く異なる考え方をしなければならないため、苦しみましたが、そこは大事な息子のこと、ずいぶん長い間悩んでいたのか、そしてそれを親たちは何も知らなかったのか、と悔やみました。

息子はその後、大勢のクローズド(カミングアウトできていない人)の仲間たちが社会的に閉鎖の状態におかれているのを、一日も早く開放しようと、必死でラジオ・テレビ・雑誌などについて抗議運動を展開し、私たち親も一緒に不当な社会性に対して問題提起をしてきました。それは大切な息子が、人生をかけて、社会に対してその歪みを正そうとしていたからです。

そうです。自分たち(セクシャルマイノリティ)にとって一番の味方は、実は一番恐れている親たちなのです。
私は、友だちと集まって色々な活動をすると同時に、自分たちのお母さん、お父さんにカミングアウトすることをお奨めします。

そして自分たちが年を重ねて「生き方」が決まったら、職場なり外部の人たちにもカミングアウトするべきです。そして社会に対して性的指向をしっかり認識させるのがよいと思っています。            
                         四条畷市  馬場三郎
  

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