感涙
まねごとの祈り終にまことと化するまで、
つみかさなる苦悩にむかひ合掌する。
指の間をもれてゆくかすかなるものよ、
少年の日にも涙ぐみしを。
おんみによつて鍛へ上げられん、
はてのはてまで射ぬき射とめん、
両頬をつたふ涙 水晶となり
ものみな消え去り あらはなるまで。
原民喜(はらたみき)wiki
━━以下私の感想━━
この詩人、原民喜について私はよく知らないわけだが、どうやら広島の原爆の被爆者であるとのこと。
彼の詩は、死の予感、匂い、そういったイメージがあるなどという程度ではなくて、死そのものや破滅悲惨などが書かれ、読むとむしろ作者を痛々しく思う。
彼がキリスト教徒であったかは定かではないのだが、早逝した姉の聖書を譲り受けたとあるから、この感涙という詩はキリスト教を念頭に置いたものであるだろう。
それにしても、キリスト教徒詩人の八木重吉もそうだが、なぜそんなに純粋になろうとするのだろうか。自分はもっと襤褸を着なければいけないのではないか、というように自らを苦難や試練に追い込んでいくのだ。
この詩でも最後の行にそのような希求を読み取れる。
厳しすぎないか、と私は思うが、しかしこの詩は好きです。
私はこんな心境にはなれはしないが、理解はできる。
そしてこの詩が言葉の遊びではないことを彼は身を以て証明したわけであるし。
爆心地から1.2kmの自宅で被爆をしたというのだから、当然彼は地獄を目の当たりにしたのだろう。地獄を見た人を私などが批評できるわけもなく。
E V O L U C I O 20201028