カトリック府中教会の聖家族像
(住所:東京都府中市府中町1-40-11)
(住所:東京都府中市府中町1-40-11)
東日本大震災の復興予算が、被災地の再建と全く無関係な事業に使われていたという。まさしく、役人どもによる血税の飽食だ。ところが、つい最近まで「がんばろう!ニッポン」と念仏のように唱えていた多くの人々は、今や「中韓を許すな」と激昂し、極右の石原慎太郎や安倍晋三らに快哉を叫んでいる。そのくせ、政・官・財界の凄まじい強欲と放縦に対しては、滑稽なほど寛容なのだ。なぜなら、テレビが中国の反日デモのように大きく取り上げないから。
10月14日(日)、府中教会で年間第28主日のミサに与った。聖堂に入ると、受付に「信仰年」開始ミサの式次第があった。先週の11日、即ち「信仰年」の初日に、府中教会では記念ミサが行われたようだ。私も(未信者のくせに)教皇ベネディクト十六世の自発教令『信仰の門』を読んでいる。それによると、信仰内容を体系的に知るには、『カテキズム』が「まことの道具」になるという。恥ずかしながら、私はその要約版さえも読んでいないことを、ここに告白します。
午前8時、ミサ開祭。福音朗読は、イエスが金持ちの男を諭された場面(マルコ10・17-30)。主任司祭のビッフィ・マウリツィオ神父は、「持っているものの無力さを感じる時が来ます。だから、財産や権力よりも、いちばんに神様を置くこと。何もかも捨て去ったとしても、永遠の命という報いがあるのです」と話された。小泉政権後、強欲拝金主義が「国是」となったニッポン。天に富を積むことを忘れ、人々の心も虫に食われ、さび付いてしまったのだろうか。

<カトリック府中教会聖堂>
◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲4(典礼聖歌215-217。栄光の賛歌は読誦)、入祭:典礼聖歌163「よろこびに」、奉納:典礼聖歌120「主はわれらのささえ」、拝領:典礼聖歌177「わたしの心は神のうちに喜ぶ」、閉祭:典礼聖歌389「キリストのように父を仰ぎ」。
◆主な参考文献など:
・「自発教令 信仰の門」 教皇ベネディクト十六世著(カトリック中央協議会・2012年)
<付記>
ビッフィ・マウリツィオ神父は、ミサ中に「信仰年」に関する短い講話もされた。「信仰年には2つの大きな目的があります。まず、私たちの信仰を再確認し、深めること。それによって、すべての人に福音を宣べ伝えること。つまり、信仰と福音宣教の2本立てになっています」。