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三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック厚木教会

2012年03月16日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック厚木教会(教会堂名:洗礼者聖ヨハネ)
創立:1970年 ◇ 住所:神奈川県厚木市旭町2-7-11

小田急小田原線の本厚木駅で降りる。厚木基地は、ここから北東の位置にある。戦前は旧海軍の飛行場だったが、戦後はアメリカ海軍と海上自衛隊が共用する航空基地となった。1945年、連合国軍最高司令官のマッカーサーが日本に降り立ったのも、この厚木基地である。当時、マッカーサーは「日本人の精神年齢は12歳」と言い放ったが、今も石原慎太郎や橋下徹に熱狂する人々を見るにつけ、「全くその通りでございます」と白旗を掲げざるを得ない。

厚木基地は綾瀬市と大和市にまたがっており、厚木市には存在しないのだが、今や「厚木と言えば、基地」のイメージが定着してしまった。大和教会の記事で触れたが、ジェット戦闘機の騒音は凄まじいものがある。多摩地域にもアメリカ空軍の横田基地があり、大型輸送機のギャラクシーが轟々と飛来する度に、精神年齢が3歳の私は竹槍で撃墜したい衝動に駆られる。首都圏にはアメリカ海軍の横須賀基地もあり、「日米同盟の深化」とやらが痛感できる。

厚木教会に到着。玄関前の聖母像がお出迎え。聖堂の外観は切妻造りの質素な佇まいだが、内部は近年改修されたらしく、白を基調とした爽やかな空間である。整然と並ぶパイプ椅子の光景は圧巻だ。高度成長期の1960年代、聖アウグスチノ修道会のライアン神父は、厚木市内の信徒宅などでミサを捧げていたが、現在地に聖堂が建てられたのは1970年。まだ若い教会である。さて、私は再び小田原行きの小田急線に乗車。次は秦野教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1970年?

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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カトリック百合ヶ丘教会

2012年03月14日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック百合ヶ丘教会(教会堂名:アシジの聖フランシスコ)
創立:1969年 ◇ 住所:神奈川県川崎市麻生区百合ヶ丘2-11-8

小田急小田原線の新百合ヶ丘駅で下車。丘の上を目指して、閑静な住宅街の中を登る(横浜教区は「坂の上の教会」が多く、体力不足の私にはキツい)。百合ヶ丘は小田急沿線の「住んでみたい町」の一つだろう。それにしても、教会はどこにあるのかしらん。坂道に疲れたので、途中の「弘法の松公園」で一休み。かつて弘法大師空海が訪れたという高台からは、百合ヶ丘の町並が一望のもとに見渡せた。いかにも「東京郊外・私鉄沿線」の風景である。

百合ヶ丘教会に到着。何と「弘法の松公園」の直ぐ近くだった。「1969年12月、百合ヶ丘にケベック外国宣教会によって、献堂式が挙行された。この地区は東京、横浜、川崎のベッド・タウンとして人口も増加し、布教のためにも教会が必要となっていた」(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。一昨年から私は都内のカトリック教会でミサに与り始めたが、その時、大きな助けとなったのが、百合ヶ丘教会公式サイト内の「ゆりこさんのはじめての教会」だった。

麻生区にお住まいの美人OL「ゆりこさん」という主人公を通して、初めてのミサや洗礼を授かるまでの出来事が、楽しいイラストと写真でバーチャルに体験できる。「ゆりこさん」のように、教会への強い関心はあっても、「どうしよう、ここまで来たけれど入りにくいなぁ」とお考えの方は、ぜひともご覧いただきたいと思う(続編の「ゆりこさんの教会レポート」も必見)。さて、私は再び小田原行きの小田急線に乗った。相模大野を経由して、次は厚木教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1969年

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)

<付記>
今回より「小田急小田原沿線のカトリック教会巡り・全5回」を不定期で連載いたします。新百合ヶ丘駅から小田原駅を経て、箱根登山鉄道の強羅駅までのカトリック教会を巡ります。
コメント (2)
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カトリック真鶴教会

2012年03月10日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック真鶴教会(教会堂名:海の星の聖母)
創立:1959年 ◇ 住所:神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴483-1

小田原を過ぎると、JR東海道線は海沿いを走ることが多くなる。いくつかのトンネルを抜けると、山側にミカン畑が増えてきた。「思へば遠く来たもんだ」(中原中也「頑是ない歌」より)と旅愁に浸っているうちに、真鶴駅に到着。ここは真鶴半島の玄関口だが、なぜか駅前は閑散としていた。夏の行楽シーズンであれば、もっと賑わっているのだろう。駅前の商店街を歩くと、新鮮な磯料理の香りが漂う。だが、魚介類が苦手な私は食指が動かないのであった。

第一次大戦中の1916年、夏目漱石は親友の中村是公らと共に、真鶴の漁港を訪れた。漱石はその時の印象を、次のように書き残している。「狭い道にはみんな石が敷いてある。(中略)路丈は何だか以太利(イタリア)辺の小さな漁村にでも来たやうな心持である。(家は無論比較しやうがないが)芝居の広告のビラが路傍に貼つてある。『こんな所にも何々座といふものがあるのかね』」(手帳の断片「真鶴行」より)。 この日、漱石らはブリ漁を見学している。

駅から徒歩数分で、真鶴教会に着いた。平塚教会の記事で触れたが、ここもまた聖コロンバン会によって創立された。集会所のような聖堂が建つ高台からは、遥か彼方に相模湾が見える。予想内とはいえ、やはり聖堂の扉は閉まっていた。現在、真鶴教会は常駐の司祭を持たず、小田原教会が月2回の主日ミサを担当していると聞く。さて、上り電車の時間が迫ってきたので、慌ただしくルルドにご挨拶。聖母像の前に供えられていた花が印象的だった。


現聖堂献堂:1969年

◆主な参考文献など:
「中原中也詩集」 大岡昇平編(岩波文庫・1981年)
「漱石全集・第二十巻 日記・断片(下)」 夏目金之助著(岩波書店・1996年)
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カトリック国府津教会

2012年03月01日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック国府津教会(教会堂名:七つの悲しみの聖母)
創立:1951年 ◇ 住所:神奈川県小田原市国府津4-5-57

JR東海道線の国府津(こうづ)駅で下車。ホームから相模湾が間近に見える。国府津という地名は、かつて相模国の港があったことに由来する。大磯と同じく、国府津も海浜の別荘地として栄えてきた。旅を愛した歌人・若山牧水も国府津を訪れ、駅前の旅館蔦屋に宿泊している。また、牧水の紀行文「伊豆紀行」にも国府津が登場する。東京「駅を出ると直ぐ私は睡った。品川をも知らなかった。そして眼をさますと汽車は停っていた。見廻せば国府津である」。

国府津教会に着いた。平塚教会の記事で触れたが、国府津教会もアイルランドの聖コロンバン会によって創立された。ここは相模湾に臨む高台で、今回の「湘南のカトリック教会巡り」の中で最も海に近い。教会の見晴らし台からも海が見える。敷地内には信徒会館や立派な納骨堂、そしてルルドもあった。聖母像の光背には、“Je suis l'Immaculee Conception (私は無原罪の御宿りです)”の文字が並んでいる。なかなか凝った意匠なので、パチリと一枚。

聖堂に入る。木造の温かい空間を設計したのは、スイス出身のフロイラー神父である(フロイラー師については大和教会の記事参照)。丸木小屋のような装いは、フロイラー師が手がけた東京の板橋教会聖堂と似ている。私は豊かな恵みに満たされて、再び国府津駅に戻った。ここから先は、小田原教会への巡礼となるが、それは「小田急小田原沿線のカトリック教会巡り」で稿を改めよう(今月中旬連載)。 かくして、私は「湘南のカトリック教会巡り」の旅を終えた。


現聖堂献堂:1955年


カトリック国府津教会の聖母像

◆主な参考文献など:
・「若山牧水伝」 大悟法利雄著(短歌新聞社・1976年)
・「みなかみ紀行」 若山牧水著(中公文庫・1993年)
コメント (2)
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カトリック二宮教会

2012年02月26日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック二宮教会(教会堂名:日本26聖人殉教者)
創立:1950年 ◇ 住所:神奈川県中郡二宮町二宮88

JR東海道線の二宮駅で下車。南口の広場に、ガラスのうさぎを抱いた少女の像が立っている。夏休みの読書感想文などで、高木敏子氏の「ガラスのうさぎ」を読まれた方も多いと思う。主人公の「敏子」は12歳。家はガラスの工芸品を作る工場だったが、1945年3月10日の東京大空襲で母と妹を失う。生き残った父は、二宮で疎開していた敏子と一緒に、新潟で暮らそうと考えた。引越しの日、二宮駅で父と汽車を待っていると、いきなり米軍機に襲われた。

待合室は凄惨な光景となり、父は機銃掃射で死亡。敏子は両親を失ったが、復員した兄とともに、戦後を生き抜いた。著者の高木氏は、「次の世代へこの悲しみを伝えたい。二度と戦争を繰り返さないために」と本書を結んでいる。残念ながら、石原慎太郎のような人々は、その願いを聞く耳を持たない。だから、多くの子どもたちに読み継がれて欲しいと思う。私の貧しい本棚には、小学生時代の愛読書が少なからず残っているが、本書もその一冊である。

二宮教会に到着。平塚教会の記事で触れたが、二宮教会もアイルランドの聖コロンバン会によって創立された。聖堂裏の松林の向こうに海が見える。「ガラスのうさぎ」の敏子も、父が亡くなった日の夜、独りで二宮海岸を訪れた。なお、「ガラスのうさぎ」とは、職人の父が作った置物のこと。空襲の焼け跡から発掘されたうさぎには、家族の思い出が刻まれているのだろう。さて、私は再び小田原行きの東海道線に乗車。次は隣駅の国府津教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1954年

◆主な参考文献など:
「ガラスのうさぎ」 高木敏子著、武部本一郎画(金の星社・1977年)
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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