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三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック大磯教会

2012年02月22日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック大磯教会(教会堂名:キリスト信者発見の聖母)
創立:1950年 ◇ 住所:神奈川県中郡大磯町東町2-7-1

JR東海道線の大磯駅で下車。瀟洒な三角屋根の駅舎は大正時代の建築である。大磯といえば、ラジオCMなどでおなじみの「ロングビーチ」が有名だが、古くから海浜の別荘地として栄えてきた。晩年の島崎藤村もここに移り住み、それが終(つい)の棲家となった。若き日の藤村は、明治学院の在学中に、キリスト教の洗礼を受けた。小説「桜の実の熟する時」には、その「受洗の儀式」の体験が描かれている。ちなみに、藤村の墓は大磯の地福寺にある。

大磯教会に着いた。松林の中に、瓦葺きの聖堂が建っている。教会の敷地はかなり広く、戦前の建築と思われる古い木造の信徒館や、驚いたことにテニス・コートさえもあった(教会の案内書によれば、「いつでも、どなたでもプレーできます」とのこと。要・問合)。平塚教会の記事でも触れたように、大磯教会もアイルランドの聖コロンバン会によって創立された。藤沢から真鶴までの間、湘南の海沿いに素朴な教会群が形成され、日帰り巡礼の旅も可能である。

聖堂に入る。和洋折衷の落ち着いた空間を設計したのは、スイス出身のフロイラー神父である(フロイラー師については大和教会の記事参照)。教会の案内書によれば、「どうぞゆっくり座って松の葉音や波の音の奥にある心の声に耳をすませて、静かに祈りの時をお過ごしください」とある。万葉集などに歌われた「こゆるぎの浜」は、大磯教会のすぐ近くだ。私は立ち去りがたい思いを抑えて、再び小田原行きの東海道線に乗車。次は隣駅の二宮教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1960年


教会敷地内の古い木造の信徒館

◆主な参考文献など:
・「新潮日本文学アルバム 島崎藤村」 三好行雄編(新潮社・1984年)
・「桜の実の熟する時」 島崎藤村著(岩波文庫・1969年)
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カトリック平塚教会

2012年02月16日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック平塚教会(教会堂名:聖パトリック)
創立:1953年 ◇ 住所:神奈川県平塚市夕陽ヶ丘4-31

JR東海道線の平塚駅で下車。この辺りは高層建築が少なく、空が広く見える。南口を出て、海水浴場へ向かう途中に平塚教会がある。松の木に囲まれた聖堂は、2005年に建て替えられたばかりだ。聖品などを扱う売店を併設している。新聖堂の玄関上では、安らぎのキリスト像が遠方からの巡礼者を迎える。両手を広げたその姿は、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11・28)のみ言葉が思い浮かぶ。

1953年、平塚教会は聖コロンバン会によって建てられた。聖コルンバヌスの名を戴くこの宣教会は、1916年にアイルランドで創立。第二次大戦後、中国を追われたコロンバン会は、湘南の西部地域で宣教し、東海道線沿いの各地に教会を設立した。藤沢教会を始め、これから訪ねる予定の大磯教会、二宮教会、国府津(こうづ)教会などである(注)。なお、平塚教会の守護聖人である聖パトリックは、コロンバン会の祖国・アイルランドの保護者である。

敬虔なカトリックの国、アイルランド。アメリカへ移住したアイルランド人の中には、カトリック信徒で大統領となったジョン・F・ケネディがいる。アイルランドでは、3月17日の聖パトリックの記念日(教会暦では任意)が、国の祝祭日(St. Patrick's Day)となっている。盛大なパレードなどの祝賀行事が行なわれるという。ちなみに、私はアイルランドへ行ったことはない。さて、再び平塚駅に戻って、小田原行きのJR東海道線に乗車。次は隣駅の大磯教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:2005年

(注):東京の豊島教会を始め、千葉県内の多くの教会(鴨川教会、木更津教会五井教会、佐原教会、館山教会、千葉寺教会銚子教会東金教会、茂原教会)も、聖コロンバン会によって創立された。

◆主な参考文献など:
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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カトリック茅ヶ崎教会

2012年02月14日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック茅ヶ崎教会(教会堂名:無原罪の聖母)
創立:1948年 ◇ 住所:神奈川県茅ヶ崎市中海岸1-1-15

JR東海道線に乗って、湘南の海沿いにあるカトリック教会を巡礼した。多摩の山里から湘南へ行くには、複数の鉄道ルートがあるが(JR横浜線の町田駅経由など)、今回はJR相模線を利用することにした。八高線と共に、東京近郊の「ローカル電車」の双璧をなす(?)相模線は、多摩地域と湘南の茅ヶ崎を結んでいる。現在も鄙(ひな)びた単線で、20数年前までは気動車が走っていた。私は八王子始発の電車に乗り込んで、終点の茅ヶ崎駅を目指した。

約1時間20分ほどを要して、茅ヶ崎に到着。駅を出ると、相模湾に面したサザンビーチちがさきも近い。九十九里浜を見慣れた私の目には、湘南の海がひときわ眩しく映る(笑)。茅ヶ崎といえば、元祖・湘南ボーイの加山雄三や、サザンオールスターズの桑田佳祐の故郷として名高い。サザンを聴くたびに、私は中学時代の現国の先生が憤慨されたことを思い出す。「桑田さんの歌は、どうして日本語を英語のように発音するのかしら。聴いていて不自然です」。

茅ヶ崎教会に着いた。大きな三角屋根の上に、大和教会聖堂とよく似たトンガリ帽子が載っている。聖堂に入ると、独特な装いに驚いた。本来は長堂式の構造にもかかわらず、強引に(?)会衆席が祭壇を囲む集中式に改装している。かつての祭壇と思われる場所には復活の大十字架、そして現祭壇の上には磔刑のイエス像が見守る。圧巻である。さて、私は再び茅ヶ崎駅に戻り、小田原行きのJR東海道線に乗車した。次は隣駅の平塚教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1952年

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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カトリック大和教会

2012年02月10日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック大和教会(教会堂名:大天使聖ミカエル)
創立:1950年 ◇ 住所:神奈川県大和市南林間7-4-1

小田急江ノ島線の南林間駅で降りる。いきなり、耳をつんざく轟音に見舞われた。上空をジェット戦闘機が飛んでいる。米軍の厚木基地から飛来したのだろうか。大和市役所によれば、「この騒音によって基地周辺住民の生活環境は極度に悪化」するという。「日米同盟の深化」を叫ぶ野田政権とマスコミは、このような現状を黙殺して、アメリカが「正義の保安官」と信じて疑わない。しかし、あの国は大義なき戦争を繰り返す“Butcher”としか思えないのだが。

大和教会に到着。赤いトンガリ帽子を戴く聖堂を設計したのは、スイス出身のカール・フロイラー神父(Karl Freuler:1912-2000年)。代表作に東京の吉祥寺教会聖堂や板橋教会聖堂、神奈川の大磯教会聖堂や国府津(こうづ)教会聖堂などがある。そういえば、由比ガ浜教会西千葉教会も、大和教会と共通の「三角屋根に大きな丸窓」の聖堂だが、これらもフロイラー師が手がけたものだろうか。何れにせよ、私は「フロイラー式」の聖堂に魅了されている。

戦前の教会建築は文化財保存の対象となるが、1950年代のものは顧みられず、建て替えとなる場合が多いようだ。フロイラー師が設計した聖堂も、次々に取り壊されている。残念ながら、新しい聖堂の中には、「これがカトリック教会?」と首をかしげたくなるものがある。建物のあり方で信仰は左右されないが、もう少し教会建築への「一般的なイメージ」が反映されたらと思う。大和教会のトンガリ帽子は、いつまでも聳え続けることを願わずにはいられない。


現聖堂献堂:1952年


聖堂外観

<付記>
次週14日(火)頃より、「湘南のカトリック教会巡り・全5回」を不定期で連載いたします。本記事で触れた大磯教会、国府津教会など、JR東海道線沿いのカトリック教会を巡ります。初回は「茅ヶ崎教会」の予定。
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カトリック藤沢教会

2012年01月21日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック藤沢教会(教会堂名:聖シモン・聖ユダ)
創立:1955年 ◇ 住所:神奈川県藤沢市鵠沼石上1-1-17

江ノ島電鉄の藤沢駅で下車。鎌倉発の電車は、ここが終点となる。そして、私の「江ノ電沿線のカトリック教会巡り」の旅も、鎌倉の雪ノ下教会から始まり、由比ガ浜教会片瀬教会を経て、この藤沢教会が終点となる。その途中、江ノ電は昔ながらの松林が残る鵠沼(くげぬま)を通った。相模湾に面した鵠沼海岸は、戦前から多くの文人墨客が暮らしていた。 1926年、神経衰弱が昂じた芥川龍之介も、妻子とともに鵠沼海岸の旅館東屋へ静養に訪れた。

「僕は全然人かげのない松の中の路を散歩してゐた。僕の前には白犬が一匹、尻を振り振り歩いて行った。(中略)犬はその路の曲り角へ来ると、急に僕をふり返った。それから確かににやりと笑った」(「鵠沼雑記」より)。龍之介は鵠沼でも不眠に悩まされた。翌年、龍之介は自ら命を絶つ。死の枕元には、愛用の聖書が置かれていた。「我々はエマヲの旅びとたちのやうに我々の心を燃え上らせるクリストを求めずにはゐられない」(「続西方の人」より)。

藤沢教会に着いた。大聖堂の威容に圧倒される。これは「日本でも世界でも珍しい八角形の構造で、最大収容人員1,000人にも及ぶ190坪の大聖堂」(藤沢教会公式サイト)という。八角形の聖堂といえば、私はスペインのサンタ・マリア・デ・エウテーナ教会を思い出す。なお、私はスペインを訪れたことはない。藤沢教会の聖堂に入ると、八角形の空間は光と静寂に満ちていた。本当に美しい。神の豊かな恵みに感謝して、私は再び鎌倉方面へ戻ることにした。


現聖堂献堂:1970年


江ノ電の鎌倉高校前駅にて
<崖上にはカトリック系の聖テレジア病院がある>

◆主な参考文献など:
・「日本現代文學全集56 芥川龍之介集」 伊藤整・亀井勝一郎ほか編(講談社・1960年)
・「新潮日本文学アルバム 芥川龍之介」 関口安義編(新潮社・1983年)
・「スペインのロマネスク教会」 櫻井義夫・堀内広治共著(鹿島出版会・2004年)
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