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三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック浅田教会

2012年04月15日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック浅田教会(教会堂名:聖ビンセンチオ・ア・パウロ)
創立:1960年 ◇ 住所:神奈川県川崎市川崎区浅田4-8-13

JR南武線の川崎駅から、臨港バス(入船橋循環)に乗り、浅間前(せんげんまえ)停留所で下車。目の前は産業道路で、大型トラックの往来が激しい。その向こうは、JFE(川鉄+日本鋼管)や富士電機などの大工場が並ぶ。習志野や多摩の山里で育った者の目には、いささか馴染めない風景だ。私はこの京浜工業地帯の只中にある浅田教会を訪ねた。裏通りを歩くと、レモン色の瀟洒な聖堂と青い門柱が見えてきた。まさしく、オアシスのようである。

1958年創立の「浅田町勤労者センター」が浅田教会の前身だ。当初は工場で働く信徒のための「母教会」であったが、今もカトリック労働者運動(ACO)神奈川地区の窓口となっている。この日、私は主任司祭のエドワード・ブジョストフスキ神父(プラド司祭会)とお話しする機会に恵まれた。「八王子から、どうしてこんなヘンピな所(自虐ネタ?)まで来たの」と歓迎してくださった。エドワード神父のご厚意で、私は四畳ほどの小聖堂も拝見させていただいた。

1932年生まれのエドワード神父は、ポーランド系フランス人。1971年以来、浅田教会で40年以上も司牧されている。私がカトリックの勉強中であることを申し上げると、神父様は「頑張るんだよ!でも、頑張るんじゃないの。頑張らせていただくの」と激励された。後日、私はエドワード神父の著書があることを知った。「絶えず祈りなさい」(新世社)、「キリスト教を生きる14のヒント」(女子パウロ会)など。読後感につき、いずれ稿を改めてご紹介したいと思う。


現聖堂献堂:1960年?


聖堂外観

◆主な参考文献など:
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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カトリック津久井教会

2012年03月28日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック津久井教会(教会堂名:アシジの聖フランシスコ)
創立:1950年 ◇ 住所:神奈川県相模原市緑区中野1366-1

JR横浜線の橋本駅から、三ヶ木行きの神奈中バスに乗り、奈良井停留所で下車。ここへ来る途中、バスは津久井湖の傍を通った。この山々に囲まれた美しい湖は、人造のダム湖である(城山ダム湖)。神奈川県の上水源の一つであり、また水力発電の設備もある。小学生の頃、私は友人と津久井湖を訪れ、ボート遊びで溺れかけた苦い思い出を持つ(笑)。当時は津久井町であったが、2006年に相模原市に編入され、現在は同市の「緑区」となっている。

津久井教会に着いた。この教会は幼稚園を併設しているためか、トンガリ屋根を戴く聖堂は、童話の中に出てくるような愛らしさ。内装もまた素晴らしく、東欧の木造教会を思わせる雰囲気である。創立60年の歴史を越える津久井教会は、戦前の八王子教会主任を務めたメイラン神父と間接的な関わりがある。明治時代、メイラン神父から受洗した女性が津久井の蔵元に嫁ぎ、のちに教会を献堂する種となった。まさに「一粒の麦もし死なずば」を見る思いだ。

津久井は、「憲政の神様」と謳われた尾崎行雄(1858-1954年)の出生地として名高い。現在、津久井教会の北西にある尾崎家の跡地は、生前の業績を顕彰した「尾崎咢堂(こくどう)記念館」が建っている。咢堂先生であれば、現在の野田政権の体たらくを、どのように喝破されるだろうか。津久井には、昭和のアイドル歌手・小泉今日子が通っていた県立津久井高校もある。キョンキョンが、この自然豊かな環境で青春時代を過ごしたことを思うと感慨深い。


現聖堂献堂:1988年

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
「キリストを背負って六十年 メイラン神父の伝道記録」 塚本昇次著(私家版・1987年)

<付記>
来月は、ご復活祭以降に「三浦半島のカトリック教会巡り・全5回」を不定期連載する予定です。大船から逗子、横須賀を経て、三浦海岸までのカトリック教会を巡ります。
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カトリック箱根教会

2012年03月24日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック箱根教会(教会堂名:洗礼者聖ヨハネ)
創立:1951年 ◇ 住所:神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300-5

箱根登山鉄道の強羅(ごうら)駅で降りる。「箱根の山は天下の嶮」という。こんな険しい山を、まるで江ノ電のような古い車両(下写真参照)が、ガタゴトと健気(けなげ)に登ってきたのだ。「箱根登山鉄道は、1919年に開通したわが国唯一の本格的山岳鉄道。(中略)急勾配を車輪の力だけで登るのは、日本では箱根の登山電車だけです」(箱根登山鉄道サイトより)。そして、「山の傾面を登るためスイッチバック方式をとり入れてジグザグに登ります」(同)。

スイッチバックとは、険しい斜面を登るために、電車が方向転換すること。終点の強羅駅まで、箱根登山鉄道はスイッチバックを3回繰り返し、進行が逆向きとなる度に、運転士と車掌が入れ替わる。そんな険しい山の上に、なぜカトリック教会があるのだろう。第二次大戦後、「強羅には戦時中疎開し、そのまま残留したシャルトル聖パウロ修道女会の函嶺白百合学園、また養護施設と、マリア会修道院が存在していた」(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。

突然、硫黄の香りが漂う山上に「カトリック村」が出現したため、教会が必要とされたらしい。周辺には、今も修道院や函嶺白百合学園(小・中・高)、強羅暁の星園(社会福祉施設)がある。駅から徒歩数分で箱根教会に到着。現在、ここは小田原教会の巡回教会となっているが、横浜でも滅多にお目にかかれない立派な聖堂に驚いた。さて、私は再び強羅駅に戻り、箱根登山鉄道で下山。かくして、「小田急小田原沿線のカトリック教会巡り」の旅を終えた。


現聖堂献堂:1951年


箱根登山鉄道モハ2形。箱根湯本駅にて。
(車両製造:1955年)

◆主な参考文献など:
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
コメント (2)
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カトリック小田原教会

2012年03月22日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック小田原教会(教会堂名:幼いイエスの聖テレジア)
創立:1879年 ◇ 住所:神奈川県小田原市栄町4-6-5

小田急小田原線の小田原駅で下車。小田原名物と言えば、鈴廣のかまぼこである。つい先日、私の中で同社の評価が急騰した。3月15日付「東京新聞」によれば、鈴廣は脱原発のネットワークを立ち上げ、「原発がなくても経済は回る」ことを地域から実践しようと呼び掛けた。既に全国の中小企業120社が参加を表明しているという。原発再稼働に暴走する強欲クラブの経団連を「ギャフン!」と言わせるために、私もかまぼこを食べて、鈴廣を応援しよう。

小田原教会に到着。尖塔を戴く聖堂は、長崎や函館の古教会のように美しい。小田原教会は、横浜の山手教会、末吉町教会と共に、神奈川県では百年の歴史を越えている。その沿革は、「1879年1月に小田原市内の内田家を根拠として当時、一帯の巡回布教にあたっていたパリ外国宣教会のテストヴィド師によって伝道が開始され、その3ヵ月後、受洗者がでる。小田原教会の共同体の基礎が生まれたのである」(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。

明治初期、テストヴィド神父は「耶蘇教」への偏見と闘いながら、神奈川や多摩地方を含む広域を宣教した。戦前の八王子教会主任を務めたメイラン神父は、テストヴィド神父の足跡に驚嘆したという。その蒔かれた種は大きな木となり、現在も東京の八王子教会泉町教会、静岡の神山復生病院、そして小田原教会などがテストヴィド神父の遺産として残っている。さて、私は再び小田原駅に戻り、箱根湯本行きの小田急線に乗車。次は箱根教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1931年


聖堂外観

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
コメント (2)
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カトリック秦野教会

2012年03月18日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック秦野教会(教会堂名:聖ペトロ)
創立:1951年 ◇ 住所:神奈川県秦野市本町1-7-7

小田急小田原線の秦野(はだの)駅で下車。北口を出て、市内を東西に流れる水無川(みずなしがわ)を渡った。かつて弘法大師がここを訪れ、村人に一杯の水を所望したところ、みすぼらしい身なりのために、断られてしまった。怒った弘法大師は「こんな川など涸れてしまえ」と命じ、それが「水無」の名称になったという(Wikipedia「水無川」の項参照)。お大師様が頑なな民に恐ろしい仏罰を与えた伝説は全国に残っているが、これもその一つであろう。

秦野教会に到着。玄関前の聖母像がお出迎え。「秦野教会は、1951年12月8日、横浜、鶴見地区を主として宣教司牧しているアトンメント・フランシスコ修道会によって創立され、初代主任司祭として故アンブロウーズ・ケニー師が任命され、その後、1958年4月、アウグスチノ修道会米国東管区が宣教司牧の責任を受けたが、1970年4月にはミラノ外国宣教会に委託され」たという(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。 聖堂内はパイプ椅子が整然と並んでいる。

この日、私は所属信徒のご婦人と雑談する機会に恵まれた。「ウチの教会の裏に、聖公会の古い教会があるから、ご覧になっていったら」と仰るので、さっそく拝観することに(カトリック教会の巡礼中に、他教派の教会を訪れるのは、我ながら無節操と思うが)。路地を回り、秦野教会と背中合わせの所に、聖公会の秦野聖ルカ教会があった。木造の礼拝堂は大正期の建築という。さて、私は再び小田原行きの小田急線に乗車。次は小田原教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1973年?


日本聖公会 秦野聖ルカ教会
(住所:神奈川県秦野市本町1-7-17)

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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