カトリック秦野教会(教会堂名:聖ペトロ)
創立:1951年 ◇ 住所:神奈川県秦野市本町1-7-7
創立:1951年 ◇ 住所:神奈川県秦野市本町1-7-7
小田急小田原線の秦野(はだの)駅で下車。北口を出て、市内を東西に流れる水無川(みずなしがわ)を渡った。かつて弘法大師がここを訪れ、村人に一杯の水を所望したところ、みすぼらしい身なりのために、断られてしまった。怒った弘法大師は「こんな川など涸れてしまえ」と命じ、それが「水無」の名称になったという(Wikipedia「水無川」の項参照)。お大師様が頑なな民に恐ろしい仏罰を与えた伝説は全国に残っているが、これもその一つであろう。
秦野教会に到着。玄関前の聖母像がお出迎え。「秦野教会は、1951年12月8日、横浜、鶴見地区を主として宣教司牧しているアトンメント・フランシスコ修道会によって創立され、初代主任司祭として故アンブロウーズ・ケニー師が任命され、その後、1958年4月、アウグスチノ修道会米国東管区が宣教司牧の責任を受けたが、1970年4月にはミラノ外国宣教会に委託され」たという(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。 聖堂内はパイプ椅子が整然と並んでいる。
この日、私は所属信徒のご婦人と雑談する機会に恵まれた。「ウチの教会の裏に、聖公会の古い教会があるから、ご覧になっていったら」と仰るので、さっそく拝観することに(カトリック教会の巡礼中に、他教派の教会を訪れるのは、我ながら無節操と思うが)。路地を回り、秦野教会と背中合わせの所に、聖公会の秦野聖ルカ教会があった。木造の礼拝堂は大正期の建築という。さて、私は再び小田原行きの小田急線に乗車。次は小田原教会を訪ねよう。
現聖堂献堂:1973年?
日本聖公会 秦野聖ルカ教会
(住所:神奈川県秦野市本町1-7-17)
◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)