大不況、大不況と騒がれる日本にも、この東京にも春はやって来た。憎たらしいほどに咲き誇る桜の下にいると、誰もいなくともなぁんにもなくとも、しみじみと幸せを感じる。
何をあがいたところで、所詮、桜にはかなわないのだ。この桜の国に生まれて本当によかった。
2、3日前から散り始めた花吹雪に、けさは朝日が反射する姿を見て、思わず言葉を失った。
4月4日、新幹線の白石蔵王駅に降り立つと、そこでは、真っ白な残雪を抱いた蔵王が迎えてくれた。何度もこの町を訪れているのだが、ここまでくっきり蔵王の勇姿を見るのは珍しい。
さて「第3回老子を読む会」、最後になったら、(いきなり最後でもないんだけど)、一人一人の顔がイキイキとしていた。みんなの目が輝いて、眩しかった。7人の参加者の輪が自然にできあがっていた。次回はいつやるの?と聞かれて、まだ決まってもいないのに、9月にやりますよと、即答してしまった。
よく耳にする歌の文句じゃないけれど、何度もくじけそうになりながらここまで来れてよかった!ばかみたいに、やるよ~と言い続けてよかった!大変だったでしょと問われて、すぐさま、「はい、大変でした」と私。
2日間、みんな、ちっとも“仲良しこよし”ではなかった。しっかり自分を主張して、みんながみんな自分のところにいた。友田風に言うなら、“自分の責任を他人に引き渡してしまうことがない人”になっていた。お互いの主張がたとえ平行線になったとしても、決して相手に合わせることもなく、ひるむこともなく、黙って自分のところにいた。こんな学習会って、できるんだなと思えた。今までこんな学習会になればいいなあと、何かを目指してやったことは一度もなかったけれど、終ってみて、この学習会がいいと、心底、思う。
学習会初日、かつて風掌荘主催のワークに参加したときに、いやな思いをして、一番上に立っているであろう友田に対しては、とてもネガティブな気持ちを持ち続けていたと、伝えてくれた人がいた。(友田はそのとき参加してはいなかったらしいが)ところが私は、それを聞いても、友田大好きを全身で表していたらしく、となりに座っている方から、ある場面で、高橋さんは、本当に友田先生大好きなんですねと言われたので、「はい」と答えた。
自由だった。めちゃくちゃ、自由だった♪。
上で登場した友田嫌い(と言ってもいいのかな)の方がある人の話を受けて、「だったら、気がついたら電話すればいいんじゃない」と言った。
この言葉が、学習会に火を点けた。痛く痛く、この言葉が気に入った人がいて、「そうだよなあ!気がついたら電話すればいいんだよなあ」って、嬉しそうに何度も言った。
そうなのです。たとえその時は気がつかなかったとしても、後になって、気がついたそのときに、言えばいいのです。少し勇気がいるかもしれないけど、けっして遅いということはないのです。
“気がついたら電話”最後の最後まで、この言葉が私たち全員の合言葉となって、会が終了した。
道の道とすべきは常の道にあらず・・・
「これこそ人間の踏み行うべき正しい道であると、人間が主張し力説し行動しているような道は、永遠に変わることのない正しい道なんかではありゃしない。」
(老子読本、友田不二男著)
に対して友田は、老子読本以外でも、幾度となくこの老子第1章冒頭を語っていて、そのひとつを抜粋する。
「----しかし、この“道”という言葉で呼んでいる“何か”が厳然としてあるんだということ------あるけれどそれは語れない、それはただこの生身をもって体験し肉迫する行動を展開することができるだけなんだ、というところに、自分を位置づけるならば、これは、まったく違った意味を持ってこの言葉が伝わってくるかと思います。ニヒルどころではない、しいて言葉で言うならば、ものすごく肯定的な、もうこれ以上肯定しようがないところの肯定を、とことんまでやりとげるような、そんな思想を基盤にしておる、ということさえいえるわけです。」
(老荘思想とカウンセリングーー友田不二男著かりのやど)
私は友田嫌い?と語ってくれた一参加者の動きに、さらにはこの場の流れに、何かを強く感じてこの文章までも載せたくなりました。
何をあがいたところで、所詮、桜にはかなわないのだ。この桜の国に生まれて本当によかった。
2、3日前から散り始めた花吹雪に、けさは朝日が反射する姿を見て、思わず言葉を失った。
4月4日、新幹線の白石蔵王駅に降り立つと、そこでは、真っ白な残雪を抱いた蔵王が迎えてくれた。何度もこの町を訪れているのだが、ここまでくっきり蔵王の勇姿を見るのは珍しい。
さて「第3回老子を読む会」、最後になったら、(いきなり最後でもないんだけど)、一人一人の顔がイキイキとしていた。みんなの目が輝いて、眩しかった。7人の参加者の輪が自然にできあがっていた。次回はいつやるの?と聞かれて、まだ決まってもいないのに、9月にやりますよと、即答してしまった。
よく耳にする歌の文句じゃないけれど、何度もくじけそうになりながらここまで来れてよかった!ばかみたいに、やるよ~と言い続けてよかった!大変だったでしょと問われて、すぐさま、「はい、大変でした」と私。
2日間、みんな、ちっとも“仲良しこよし”ではなかった。しっかり自分を主張して、みんながみんな自分のところにいた。友田風に言うなら、“自分の責任を他人に引き渡してしまうことがない人”になっていた。お互いの主張がたとえ平行線になったとしても、決して相手に合わせることもなく、ひるむこともなく、黙って自分のところにいた。こんな学習会って、できるんだなと思えた。今までこんな学習会になればいいなあと、何かを目指してやったことは一度もなかったけれど、終ってみて、この学習会がいいと、心底、思う。
学習会初日、かつて風掌荘主催のワークに参加したときに、いやな思いをして、一番上に立っているであろう友田に対しては、とてもネガティブな気持ちを持ち続けていたと、伝えてくれた人がいた。(友田はそのとき参加してはいなかったらしいが)ところが私は、それを聞いても、友田大好きを全身で表していたらしく、となりに座っている方から、ある場面で、高橋さんは、本当に友田先生大好きなんですねと言われたので、「はい」と答えた。
自由だった。めちゃくちゃ、自由だった♪。
上で登場した友田嫌い(と言ってもいいのかな)の方がある人の話を受けて、「だったら、気がついたら電話すればいいんじゃない」と言った。
この言葉が、学習会に火を点けた。痛く痛く、この言葉が気に入った人がいて、「そうだよなあ!気がついたら電話すればいいんだよなあ」って、嬉しそうに何度も言った。
そうなのです。たとえその時は気がつかなかったとしても、後になって、気がついたそのときに、言えばいいのです。少し勇気がいるかもしれないけど、けっして遅いということはないのです。
“気がついたら電話”最後の最後まで、この言葉が私たち全員の合言葉となって、会が終了した。
道の道とすべきは常の道にあらず・・・
「これこそ人間の踏み行うべき正しい道であると、人間が主張し力説し行動しているような道は、永遠に変わることのない正しい道なんかではありゃしない。」
(老子読本、友田不二男著)
に対して友田は、老子読本以外でも、幾度となくこの老子第1章冒頭を語っていて、そのひとつを抜粋する。
「----しかし、この“道”という言葉で呼んでいる“何か”が厳然としてあるんだということ------あるけれどそれは語れない、それはただこの生身をもって体験し肉迫する行動を展開することができるだけなんだ、というところに、自分を位置づけるならば、これは、まったく違った意味を持ってこの言葉が伝わってくるかと思います。ニヒルどころではない、しいて言葉で言うならば、ものすごく肯定的な、もうこれ以上肯定しようがないところの肯定を、とことんまでやりとげるような、そんな思想を基盤にしておる、ということさえいえるわけです。」
(老荘思想とカウンセリングーー友田不二男著かりのやど)
私は友田嫌い?と語ってくれた一参加者の動きに、さらにはこの場の流れに、何かを強く感じてこの文章までも載せたくなりました。