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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

芝桜

2016年05月07日 | ポエム
秩父羊山公園の芝桜の丘へ出掛けた。
この五月八日までが、芝桜祭なのである。

そう銘打って、JRや私鉄の沿線駅にパンフレットが置かれている。
入場料金は、300円とある。



けれど、芝桜はもう終っていると云って良いだろう。
入場料金は、協力金として一人100円になっている。
昨日までは、300円だったのだ。



山間を抜けて行くと、一面の芝桜の丘が現われるのだけれど・・・。
ほとんど、色褪せてしまっている。

芝桜の向こうに聳える「武甲山」が恥ずかし気である。
鮮やかな模様の頃は、きっと綺麗だっただろうと予想は出来る。







「芝桜野に埋もれゆき果にけり」







綾なす模様は、明確である。
芝桜の色にあわせた、流線型やハート型が見て取れるのである。



今年は、早く終ってしまったのだろう。
祭の実行委員会の思わくが外れて、少しばかりガッカリしているだろうと思う。
ぼくが帰路につく頃、芝桜の丘に向かう団体が数組いたのだ、
添乗員さんの旗は、HISが読み取れた。



旅行会社の思わくも外れただろうし、お客さんたちもがっかりだろうと思う。
しかし、自然相手のことである。
時間よ止まれ!
とは言えない。



     荒 野人

なんじゃもんじゃの花

2016年05月06日 | ポエム
一つ葉田子・・・ひとつばたごの花である。



白いモワッとした花である。
このなんじゃもんじゃの花は、東京都薬用植物園に咲いている。



不思議な花である。
隙間のある咲き方を見ると、あたかもマンサクの花のようである。

だがしかし、なんじゃもんじゃの花である。







「君思ふなんじゃもんじゃの花の下」







なんじゃもんじゃの花は、歳時記には掲載されていない。
季語としては、確率されていない。

しかし、多くの俳人が夏として詠んでおられる。
花が少ないので、例句が少ない。

著名な俳人二、一度詠んで頂きたいものである。
そうすることで、夏の季語として歳時記に入るであろうことは充分に予想される。



     荒 野人

朴散華

2016年05月05日 | ポエム
朴の花が、頭上高く朽ちようとする。
朴散華、である。



朴の花の下は、えも言われぬ芳香が漂う。
モクレン科の花である。
その肉厚で、豊かな花弁に包まれた蕊は個性的である。







「音も無くただ朽ちてゆく朴散華」







こ朴の花は、井の頭公園の中である。
井の頭動物園は、リスが売りである。



リスの小径がある。
その小径への出入りは、厳重である。



リスを見、朴散華を確認する。
実に初夏の気配である。

花言葉は「誠意ある友情」である。
花の重厚さが、そう言わせたのかもしれない。


     荒 野人

ラベンダー

2016年05月04日 | ポエム
ラベンダーと云えば、北海道のラベンダー畑がすぐ思い起こされる。
富良野の丘陵全体を覆い尽くし、且つ流線型の模様が見事である。



けれど、ラベンダーは楚々としてあっても感動する。
すっと、手の平を丸めて柔らかく上に抜いてゆく。
手の平にラベンダーの香りが移って、しばらくは香りが楽しめる。



ぼくは、ラベンダーをそっと撫でる行為が大好きである。
その移り香が、心を鎮めてくれるのである。



いつものカフェの外のテーブルの脇には、ラベンダーが植栽されている。
だから、と云っては可笑しいけれど虫が寄ってこないのだ。
ぼくは、虫に刺されることが多い。
蚊は、天敵である。

最近購入した帽子は「防虫加工」されているものだ。
だから、このラベンダー傍の場所はぼくのお好みなのである。







「揺れるほど鎮まりかえるラベンダー」







ラベンダーの花言葉は・・・。
「優美」「許しあう愛」「期待、幸せが来る」「沈黙」である。



そうなのか・・・。
では、きみにラベンダーを送ろう。



許し合う愛、それはぼくの句友の多くが抱くパトスであると理解しているのである。



ラベンダーは、香りも揺れ姿も優美である。



      荒 野人

紫蘭

2016年05月03日 | ポエム
いよいよ夏である。
持ち歩く歳時記は、春と夏の二冊。

紫蘭は、五月から六月にかけて咲く・・・と云うのだけれど。
じつは春に咲き初め、もうそろそろ終る。



鉢植えの紫蘭の花・・・とか云う歌があったけれど。
やはり地植えの紫蘭が、綺麗である。







「ひと雨の過ぎ去る午後の紫蘭かな」







紫蘭の花言葉は・・・。
「お互い忘れないように」 「変わらぬ愛」「美しい姿」「楽しい語らい」である。



白の紫蘭があるけれど、それもまた見応えがある。
でも、ぼくはやはり紫の花が好きだ。

白の清楚さも捨て難いけれど、薄紫は高貴な色である。



知り合いの女性で、色白美人がいる。
その女性は、色白だけでなくほんの少しだけ白以外の色を持っている。
それが良い。

一色の美人など、物の数ではない。
ぽっと上気した色合いは、なんとも艶かしい。



     荒 野人