エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

マンドリンの音色

2011年12月20日 | 日記
マンドリンについて、考察してみたいと思ったのである。

マンドリンが奏でる楽曲は、トレモロでメロディーを奏でるといった印象がある。
その理由は、マンドリンはギターと同じく持続音が出せない楽器であるということなのである。
この問題は高音においてギターより大きな問題となり、その結果、持続音を模したトレモロ奏法が使われるのである。



トレモロ以外の奏法には、アルペジオ、ピッツィカート、ハーモニクスなどがある。

アルペジオは、和音を構成する音を一音ずつ低いものから(または、高いものから)順番に弾いていくことである。
ピッツィカートは、先日書いたけれど弦をはじいて音を出すのである。
ハーモニスクは、弦を指板にまで押さえつけず軽く触れる程度で弾くと、触れた箇所を節とする倍音だけが鳴る(触れた箇所が腹となる振動が抑制される)。
フラジオレット奏法である。



これがマンドリンの音域である。
人間の声帯に近い音域である。

従ってなかなかドラマティツクな楽曲になりずらいのかもしれないけれど、音楽に嵌ったらこれほど聴くものを陶酔させる楽器も珍しい。

マンドリンが素人の楽器であるとする認識は、考え直した方が良いのである。
上記したように、音の限界があるといえばそうなのだけれど、全体の中のある局面で使うと痺れるほど感じる。
例えば、歌劇「ドン・ジョバンニ」でジョバンニが歌うアリア「カタログの歌」では最初まずマンドリンが音を奏でる。

ジョバンニが、女遍歴を自慢げ披露するアリアである。
ジョバンニは、バリトンで歌いあげるのである。

また、映画「第三の男」では主題のメロディーはチターで奏でられる。



チターである。
そかしながら、このメロディーはマンドリンで奏でるとひときわ個性が発揮される。

マンドリンという楽器なり音楽は、その底辺を大学や高校など学生たちが支えているのは言を待たない。
しかし、地域のマンドリン倶楽部も優れて底辺を支えているのである。

そうした倶楽部の中から、プロのマンドリン奏者も輩出している。
彼らの音楽性なりテクニックは優れて高い。



この群馬の楽団も同様である。
例えば、右側の奏者はプロである。
チャリティーの演奏会であって、彼らは正にボランティアで演奏している。

現実的には、なかなかメジャーになりきれない憾みがあるのだと思う。



長い歴史を紡いできたマンドリンである。
この絵画はJules Joseph Lefebvre (1836–1911)の作品である。
パリを活動の拠点とした、フランス産まれの画家だ。

タイトルは「マンドリンを持つ少女」である。
この画家は1901以降、絵画を発表していないからこの絵画は1800年代後半の作品である。

ぼくは、詩人・萩原朔太郎が好きである。
その縁があって、この群馬マンドリン楽団と出会ったのかもしれない。
ぼくはいま、ドン・ジョバンニのアリア「カタログの歌」を口ずさみながらパソコンに向かっている。
「イタリアでは何人、イルマニアでは何人・・・」といった按配である。

マンドリンとマドンナを探す旅も良いのかもしれない。
友人A氏は既にマドンナを探してしまったか、出会ったのかもしれない。




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 荒野人


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1 コメント

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Unknown (ripple)
2011-12-20 10:35:39
マンドリンの
音色は心地よい
まあ 
どんな方が弾いて
おられるのでしょう

わたしはクラシックギターを習ったことがあります。
そういえば、クラシックギターにはアポヤンドとアルアイレという
奏法がありました。
なつかしい思い出です。
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