エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

馬酔木の花

2012年02月08日 | 日記
馬酔木(あしび)である。
馬がこの葉や花を食べると、酔ったようになることからこの名前が着いた。
不思議な語感の言葉である。

含有成分「アセボトキシン」は人間にも有毒で、足がしびれたようになることから「アシシビレ(足痺れ)」が「アセビ」になったとも言われているのである。

この花卉は、万葉集にも詠み込まれ日本人とは縁の古い花なのである。



いまは蕾がこんな状態である。

   池水に 影さへ見えて 咲きにほう  あしびの花を 袖に扱入(こき)れな
                               万葉集 大伴家持

   磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど  見すべき君が ありといはなくに
                               万葉集 大来皇女

   わが背子に わが恋ふらくは 奥山の あしびの花の 今盛りなり
                               万葉集

   河蝦(かわず)鳴く 吉野の川の 瀧の上の 馬酔木の花ぞ 末(はし)に置くなゆめ
                               万葉集

和歌である。



今日の馬酔木は雨上がりである。
水滴が輝いて春浅き気配をシンボルしているようであった。

また「馬酔木」は俳句の世界では特別な意味を持っている。



      馬酔木咲く金堂の扉にわが触れぬ       秋桜子



「馬酔木」の創刊は大正七年、当初は「破魔弓」という誌名であった。
大正三年七月、誌名は「馬酔木」となる。

水原秋桜子が主宰として俳句の新しい世界を目指すのである。
このときの同人は、水原秋桜子、増田古手奈、日野草城、佐藤眉峰、山口青邨、富安風生、大岡龍男、佐々木綾華である。



花が数輪開いていた。
白とピンクが鮮やかである。

昭和六年、秋桜子は「ホトトギス」の写生が瑣末描写に傾いていくことを批判して「ホトトギス」を離れる。
「自然の真と文芸上の真」と題する論文を掲げて『ホトトギス』を脱退し、新興俳句運動を興したのである。

ぼくが所属する「からまつ」の祖も又、ホトトギスから決別して第三の道を進むのである。
すなわち「俳句道即人間道」を呼称する臼田亞浪である。




      赤味ます馬酔木の花の炎かな        野 人




言い忘れたけれど、馬酔木の学名は「 Pieris japonica 」である。
Pieris(ピエリス)とは、ギリシャ神話の「詩の女神」のことである。

花言葉は「犠牲」「二人で旅をしよう」「清純な心」である。



レッド・ロビンの葉が、雨に濡れ赤々と輝いた。
ぼくの孫の名前は「ロビン」である。
この木は、彼のシンボル・ツリーである。



名残の山茶花である。

少し飛躍した。
間もなく、春が謳歌出来る。
今日からぼくのポケットの歳時記は「春」になった。






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 荒野人


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