エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

乗鞍紀行

2013年05月15日 | ポエム
乗鞍は天上の邨である。
春は、遅れてやってくる。
冬が長ければ長いほど、春の・・・いや雪解けの喜びは単純にして率直な「歓喜」であるのだろう。

極北の街に一朶の曙光が射した刹那の歓喜と同質であるのかもしれない。
花は、正しく一朶からはじまるのだが万朶は瞬時にやって来て、万朶になると同時に散る。

乗鞍の、その季節の按配の取り方は、絶妙である。

昨日、帰宅後に乗鞍の朝をアップした。
今日から「乗鞍紀行」を続けたい。
そう、4回は書き繋ぎたいのである。

正確に記そう。
乗鞍行は「からまつ俳句会」の二つの句会が挙行したものであって、ぼくは便乗者である。
乗鞍には、由利主宰の山荘があって山荘の上には川戸飛鴻の句碑が鎮座する。



左下に見える赤い屋根の主宰の山荘は、飛鴻師の句碑を見続ける。
主宰の原点が、逆説的には句碑によって育まれているのだろう。



乗鞍に向かう朝、東京は「はしり梅雨」というべき雨がそぼ降っていた。



街全体が靄っているのであった。



しかし、バスが中央高速に載り、暫く走っている内に明るさが増しやがて晴天の空が現れた。
ここは諏訪湖である。
結果的には、夏日の一日となった。

乗鞍に登りかけると、山は笑いを取り戻していく。
山桜が咲き、道脇には山吹が咲き乱れる。
山肌のグラデーションは、大笑いを続ける。



歳時記が通用しない季節の戻りが心地良いのである。
主宰が良く仰る「季語は、自分がそうだと思った時で良いのだ!」と。

主宰の山荘を過ぎ、バスは喘ぎつつ登攀を続ける。







「せせらぎの流れのままの春の来て」







細くささやかな「せせらぎ」の一画に逢着する。



昼食は、ここでバーベーキューである。
主宰と徹さんが既に準備して、待っておられる。



熱い味噌汁と、徹さんが挙げる山菜の天ぷらが待っているのであった。



先ずもって、ビール缶を流れに沈める。
鉄板は既に焼き上がっている。

この乗鞍行を取り仕切る春兎さんが具材を載せる。
忽ち煙が上がって、玉葱やに肉が焼け始める。

主宰も、手ぬぐいを腰に下げメンバーの間を遊弋する。
参加者の顔が七五蝶に変わっていく。
言い換えれば、リズムに溢れる。
飲むリズム、食うリズム、そして交流するリズム。
参加者は人生の達人である。



バーベーキューは、食べ過ぎてしまった。
ステージが胃袋を刺激するのである。



きみよ知るや、天上の邨を。



    荒 野人


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。