平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

邪馬台国はどこにあったのか?~九州から近畿に移動した「東遷説」は結構、有望だと思うのだが

2023年06月01日 | その他
 佐賀県の吉野ヶ里遺跡で「謎のエリア」発見!
 そこには邪馬台国時代のものと思われる石棺があった!
 これで邪馬台国・九州説は確定か!?

 吉野ヶ里遺跡の「謎エリア」で新発見、邪馬台国時代の石棺墓か(yahoo!ニュース)

 というわけで、邪馬台国論争。
 邪馬台国は九州にあったのか? 近畿にあったのか?
 星野之宣さんのコミック『ヤマタイカ』『宗像教授異考録』では「東遷説」が紹介されている。
 東遷説──
「九州にあった邪馬台国が東に近畿に遷都した」という説だ。

 その根拠は、拾いものの画像だが、これ。

 

 九州の地名が紀伊半島と近畿の地名に合致しているのだ。
 たとえば、
 九州の山門(やまと)郡と近畿の大和。
 九州の三潴(みずま)郡と近畿の水間郡。
 鷹取山と高取山。
 笠祇岳と笠置山。
 熊野と熊野市。

 上の図には書かれていないが、もっと細かく地図を見れば、
 阿蘇と奈良では──三輪、朝倉、上山田、池田、田原などの地名が合致する。
 日向と熊野では──高原、大野、日向、熊野、高岡、市木、鵜戸と鵜殿、串間と串本、大森岳と大森山など、これまた合致する。

 既にあるものに模して何かを造る、というのは日本史では多々あることで、
 たとえば、鎌倉の鶴岡八幡宮の源平池や上野の不忍池は「琵琶湖」を模したものだ。

 つまり近畿にやって来た邪馬台国の人々は新天地に故郷と同じ名前をつけた。
 これが「東遷説」の根拠だ。
「東遷説」では、これを『古事記』『日本書紀』に書かれた『神武東征』(=磐余彦尊が日向を発ち、奈良盆地とその周辺を統治していた長髄彦を滅ぼし、はじめて天皇の位について神武天皇になった、という逸話)に結びつけている。

 僕は星野之宣さんの『ヤマタイカ』で、これを知って、なるほど! と思った。
 未読だが、安彦良和さんも『神武』で「東遷説」を描いているらしい。
 …………………………………………………

 古代のロマンですね~。
 個人的なことですが、僕は今、生きている現在があまりもバカバカしくて、くだらなくて、遠い過去や未来のことに関心を持っています。
 だって首相の息子が首相公邸でドンチャン騒ぎですよ。
 これに比べたら、
・地球の生成
・生物の誕生・進化
・神話の時代
・AI、ロボット、量子コンピュータのつくる未来
・宇宙の誕生と消滅
 などを考えた方がよほど楽しいし、有意義。

 現在のことで一喜一憂するのに疲れました……。


コメント (6)    この記事についてブログを書く
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6 コメント

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Unknown (象が転んだ)
2023-06-01 14:41:49
私の田舎は旧蒲池藩で、その先祖の蒲池氏は京都や大阪から下って来た貴族崩れとされます。
故に、邪馬台国も近畿説が有力だと思ってました。
もし今回の発見が本物なら興味深いですね。
ド田舎の佐賀に古代日本の起源があったなんて・・・

因みに、蒲池藩が滅亡したのは(ブログでも書いたんですが)、全盛を誇ってた蒲池氏(16代鑑盛)のバカ息子(17代鎮漣)が佐賀のストリップ劇場でドンチャン騒ぎし、その背後を肥前国の某僧侶から謀殺された事が原因でした。

でも、こういうバカがいると岸田内閣も一気に衰退しちゃうかもですね。
返信する
松田聖子さん! (コウジ)
2023-06-02 09:24:26
象が転んださん

いつもありがとうございます。
蒲池藩ということは、蒲池法子さん=松田聖子さんとご縁があるのかもしれませんね。
かく言う僕も母方が柳川・細川藩で、もしかしたら先祖が交流していたかもしれません。

邪馬台国・近畿説。
大きな古墳があることと「三角縁神獣鏡」がその根拠なんですよね。
ただ、最近の研究では「三角縁神獣鏡」は中国では発見されていないとか……。

>こういうバカがいると岸田内閣も一気に衰退しちゃうかもですね。
おっしゃるとおり、こういう所から崩れたりするんですよね。
日本の場合、政策で内閣が倒れることはほとんどありません。
それにしても週刊文春の威力は凄まじい!
続報はフライデーにも載るようですね。
返信する
山海経(せんがいきょう) (2020-08-15 21:07:49)
2023-06-03 00:38:36
ひねくれ者かもしれませんが…
邪馬台国がどこか、あまり興味がないんです。

当時の中国人にとっては、日本近辺は「辺境」「魔境」だったので、マジメに記述するつもりもなかったでしょう。

魏志や後漢書が書かれた少し前に、山海経という本もできています。
表向きは「地理書」ですが、実際にはこの本、中国周辺のへき地に住んでいる「妖怪」や「奇っ怪な蛮人」についてひたすら列挙された図鑑です。

何しろ「胸に丸い大穴が開くほどの戦傷」で死んだ兵士がよみがえった「貫匈」とか、脚がいつも交差している「交脛」とか、一つ目怪人とか、内臓がない人とか、一本足で骨がない人とか、そういうレベルです。

邪馬台国に関する記述も、こういった奇書と共通するノリで書かれたものに思えるんです。
なので、史書の中にあっても、歴史とは別ものと考えています。
返信する
人はさまざま (コウジ)
2023-06-03 09:31:50
2020-08-15 21:07:49さん

「山海経」面白そうですね。

>邪馬台国がどこか、あまり興味がないんです。
一方、これに一生をかける人もいるわけで、人ってさまざまですよね。

僕は考古学・歴史的ロマンを感じますし、日本の国の成り立ちを考える上でも注目したいと考えています。
返信する
別に邪馬台国ロマンを否定するわけでもなくて (2020-08-15 21:07:49)
2023-06-03 21:33:59
別に邪馬台国ロマンは否定しません。

ただ、邪馬台国が畿内にあったとしても九州にあったとしても、おっしゃるように東遷したとしても、当時の関西や西日本といった地域は、まとまった人口の都市国家(あるいは村落共同体的な国家)をいくつも形成できる程度には文化が進んでいたんでしょう。歴史研究として大切なのは、その視点だと思います。

この時代の都市国家(村落共同体的国家)は文字は持っていなかったでしょうから、いくら掘り起こして調べても、そのうちのどれかが邪馬台国かもしれない、という程度にしか分からないでしょう。後漢書にしても魏志にしても、書き方は山海経並みにあやふやなわけですし。

となれば、邪馬台国がどこにあったのか、というのは、それほど重大事ではないと思っています。
もちろん、どこにあったのか分かれば面白いですが、分からなくても仕方ないです。

もちろんこれはわたし個人の考えで、我ながらひねくれていると思います。
ひとさまに押しつけることはしません。同意を求めようとも思いません。
ちょっとしたひとり言です。
返信する
人はそれぞれ (コウジ)
2023-06-04 08:43:41
2020-08-15 21:07:49さん

人はそれぞれ。人はさまざま。
それでいいと思います!
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