久坂(東出昌大)と辰路(鈴木杏)、挫折した者どうしの共感。
辰路は言う。
「出会うた時からわかってました。同じ匂いしましたさかい、寂しいお人やと。
幸せなあんたさんの奥方は、あんたの心の本当の真ん中には触れられん。
うちには、そのお顔、見せてくれはってもいいんどすえ」
一方、文(井上真央)は何とか久坂の心の真ん中に触れようとする。
しかし……。
「京の女と情を通じた」
今回は、ただこれだけの話である。
あとは、弟・敏三郎(森永悠希)の奇兵隊入り。
八月十八日の政変~七卿の都落ち。
内容が薄過ぎ!
不倫話も、敏三郎と滝(檀ふみ)の親子話も使い古されたパターンだから面白くない。
仮に話がパターンで単調でも、いい作品には引っ掛かるシーンやせりふがあるんですけどね。
今回、敢えてそれを挙げるとすると、<凶>のおみくじのエピソードかな?
「ついとらんの。そげな人間はそげなふうに生まれついとるんじゃ」
かつて、ついていない男・久坂が希望を見出したのは文だった。
やはり今回も文によって、何らかの希望を見出す所まで描いてほしかった。
別に希望ですべての雲が晴れなくてもいい。ほんのひと筋の光明でも。
だが、ラストで描かれたのは、畳の上に置かれた、文がつくった食事の御膳。
<凶>のおみくじが、まったく活きていない。
辰路は言う。
「出会うた時からわかってました。同じ匂いしましたさかい、寂しいお人やと。
幸せなあんたさんの奥方は、あんたの心の本当の真ん中には触れられん。
うちには、そのお顔、見せてくれはってもいいんどすえ」
一方、文(井上真央)は何とか久坂の心の真ん中に触れようとする。
しかし……。
「京の女と情を通じた」
今回は、ただこれだけの話である。
あとは、弟・敏三郎(森永悠希)の奇兵隊入り。
八月十八日の政変~七卿の都落ち。
内容が薄過ぎ!
不倫話も、敏三郎と滝(檀ふみ)の親子話も使い古されたパターンだから面白くない。
仮に話がパターンで単調でも、いい作品には引っ掛かるシーンやせりふがあるんですけどね。
今回、敢えてそれを挙げるとすると、<凶>のおみくじのエピソードかな?
「ついとらんの。そげな人間はそげなふうに生まれついとるんじゃ」
かつて、ついていない男・久坂が希望を見出したのは文だった。
やはり今回も文によって、何らかの希望を見出す所まで描いてほしかった。
別に希望ですべての雲が晴れなくてもいい。ほんのひと筋の光明でも。
だが、ラストで描かれたのは、畳の上に置かれた、文がつくった食事の御膳。
<凶>のおみくじが、まったく活きていない。
しかもそうした運命を「英雄的に耐える」わけでもなく、腐りきってしまうダメ男。
>やはり今回も文によって、何らかの希望を見出す所まで描いてほしかった。
それもできないのでしょう。
辰路の「落とし文句」は悪魔の呪文のようなもので、文が良妻であればあるほど久坂にとっては辛くなる、という「心の真ん中」なのでしょうから。
「心の闇」を描く、という点では確かにドラマになっていたと思いますが、「大河」の準主役の描写としては情けなさすぎですね。
久坂自身「俺は最低だ」と呟くわけですが、その言葉通りだと思います。
私はもともと松陰嫌いでしたが、ある時期からはそれにも増して「いい加減さっさと処刑されないか」と思うようになりましたが、今の久坂についても「さっさと禁門の変にならないか」という心境です。
このような男たちがヒーロー-単にヒロインゆかりの人物というだけの意味だとしても-に据えられている段階で企画の失敗でしょうね。
俳優さんが気の毒な気がします。
いつもありがとうございます。
>「大河」の準主役の描写としては情けなさすぎですね。
おっしゃるとおりですね。
作家としては、久坂玄瑞という人物を掘り下げたつもりでしょうが、どこか上手く描けていない。〝情けなさ〟ばかりが目立ってしまう。
今回の件でも、もっと三条実美や帝を動かす過程や対抗する会津、薩摩の動きを丁寧に描いていれば、印象はもっと違っていたと思うんですけどね。
作家の力量のなさを感じます。
おっしゃるとおり、俳優さんが気の毒ですよね。
辰路に関しては<心の迷い>で、やはり最終的には、文が<心の真ん中>であってほしいですよね。
禁門の変あたりで、気づくのでしょうか。
文も久坂のまわりをウロウロしているだけでは、主人公ではない。