今回のキイワードは<ウソ>。
破談になった寿(優香)は、大組の嫁になるのが目的だったと強がりを言い、こう語る。
「好かれるために、選ばれるために精一杯やって来た」
これは寿の本音であり、同時にプライドを守るための強がりであろう。
やはり寿は内藤を愛していた。
文(井上真央)もまた自分の気持ちにウソをついた。
伊之助(大沢たかお)に恋をしているにも関わらず、この<人むすぶ娘>は寿と伊之助を結びつける。
人は時としてウソをつく。
自分のプライドを守るために、愛する他者のために。
しかし、ウソをつけない人間もいる。
寅次郎(伊勢谷友介)だ。
彼は自分の気持ちにウソをつくことが出来ず、脱藩する。
普通の人間は、他者とのしがらみや自分の行動が及ぼす影響を考えて、差し控えるものだが、彼にはその意識がない。
至誠を尽くせば他人はいずれ理解してくれると思っている。
純粋と言えば、純粋だが、これは<純粋さの弊害>でもある。
伊之助の母のエピソードは変化球の<ウソ話>。
体の調子が良くないという母の手紙を伊之助は、自分を萩に戻すためのウソだと考えた。
ウソ話とは違うが、母親が愛情を込めて編んだ着物を寅次郎に渡したこともどうだろう?
まあ、若い時は親は疎ましくて自分中心になりがちだが、江戸で学びたいという<純粋さ>ゆえ、伊之助は母親の思いを理解することが出来なかった。
これもまた<純粋さの弊害>である。
大河ドラマとしては、もう少し歴史を描いてもいい気がします。
寅次郎の脱藩にしても、寅次郎視点でもう少し掘り下げて描いてもよかったのに。
今の所、この作品で、寅次郎は唯一<過剰な人>ですからね。
やはり大河ドラマでは<過剰な人>を見たい。
破談になった寿(優香)は、大組の嫁になるのが目的だったと強がりを言い、こう語る。
「好かれるために、選ばれるために精一杯やって来た」
これは寿の本音であり、同時にプライドを守るための強がりであろう。
やはり寿は内藤を愛していた。
文(井上真央)もまた自分の気持ちにウソをついた。
伊之助(大沢たかお)に恋をしているにも関わらず、この<人むすぶ娘>は寿と伊之助を結びつける。
人は時としてウソをつく。
自分のプライドを守るために、愛する他者のために。
しかし、ウソをつけない人間もいる。
寅次郎(伊勢谷友介)だ。
彼は自分の気持ちにウソをつくことが出来ず、脱藩する。
普通の人間は、他者とのしがらみや自分の行動が及ぼす影響を考えて、差し控えるものだが、彼にはその意識がない。
至誠を尽くせば他人はいずれ理解してくれると思っている。
純粋と言えば、純粋だが、これは<純粋さの弊害>でもある。
伊之助の母のエピソードは変化球の<ウソ話>。
体の調子が良くないという母の手紙を伊之助は、自分を萩に戻すためのウソだと考えた。
ウソ話とは違うが、母親が愛情を込めて編んだ着物を寅次郎に渡したこともどうだろう?
まあ、若い時は親は疎ましくて自分中心になりがちだが、江戸で学びたいという<純粋さ>ゆえ、伊之助は母親の思いを理解することが出来なかった。
これもまた<純粋さの弊害>である。
大河ドラマとしては、もう少し歴史を描いてもいい気がします。
寅次郎の脱藩にしても、寅次郎視点でもう少し掘り下げて描いてもよかったのに。
今の所、この作品で、寅次郎は唯一<過剰な人>ですからね。
やはり大河ドラマでは<過剰な人>を見たい。
これと平行して伊之助も
「養子にもろうてもらうためにただひたすら学問した。じゃから遊びもうまいものも何も知らん」
と述べています。
おそらく彼は「ありのままで」愛されている寅次郎に一瞬嫉妬と羨望の思いを抱いたに違いありません。にもかかわらず伊之助は寅次郎を愛し、その人生を支えることに「乗った」。
「節句餅」という小道具はその転換点を示す小道具。
江戸で寅次郎から節句餅の話を聞いた時には「家族の味」は羨望の種だったに違いありません。
しかし、「優等生ペルソナ」を通してしか繋がっていないと思っていた義母が、死に別れてはじめて真に自分を愛してくれていたと気づいた喪失感のうちにあったとき、文が節句餅をもってきてくれた。
節句餅は家族というものとこれを受け入れようと思うに至った伊之助の心境を象徴しています。
>伊之助(大沢たかお)に恋をしているにも関わらず、この<人むすぶ娘>は寿と伊之助を結びつける。
おそらく寿は文に対して、伊之助が寅次郎に対して抱いたのと同じような羨望-「ありのままで」受け入れられている者に対する優等生のルサンチマン-を抱いているのではないかと思います。
文の寿に対する愛情の中には、そうした姉の思いに対する「後ろめたさ」の思いが何某かバイアスとして含まれていたのでしょう。
だから「妹」という伊之助の言葉を聞いて、はじめて自分の気持ちとそれに対して自分がしてしまったことに気づき、泣き出してしまったというわけでした。
この文の失恋場面は視聴者にとっても涙を誘うところですが、年齢計算に詳しい他ブログによれば文の年齢はまだ8歳くらいとのこと。
前回の子役山田萌々香ちゃんは12歳なので、彼女でもまだまだ充分だった筈です。
例によって早すぎる子役からメインキャラへの切り替えですが、強引に「淡い初恋の破れ」と「再び結ばれる後日への伏線」を描くためだったのでしょうか。
>寅次郎の脱藩にしても、寅次郎視点でもう少し掘り下げて描いてもよかったのに。
物語の構成からはそうとも思えますが、敢えて「吉田松陰伝」にしないための配慮なのかもしれません。
<過剰な(=非常識な)人>寅次郎に翻弄されながらも彼を愛し、支え続ける常識人(家族・友人)の視座を中心に据える、というコンセプトなのでしょう。
私個人の思いとしても、「偉人・松陰伝」だけは願い下げにしたいと思っています。
いつもありがとうございます。
>「ありのままで」受け入れられている者に対するルサンチマン
おおっ! 深いですね。
考えてみれば、寿と伊之助はこの点で同じなんですね。
TEPOさんのおかげで、別の視点で今回の作品を考えることができました。
僕自身、今回の話はいささか退屈だったので、逆に歴史や過剰さを求めてしまいました。
節句餅についても同意です。
上手い小道具の使い方でしたね。
これを用意する文は、他人の思いを理解できる聡明な子ですよね。