平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「国家」とは何か?~生物学者・池田清彦先生、いはく「国家も神もすべて幻想です」

2024年08月23日 | その他
「ホンマでっかTV」などにも出演されている生物学者の池田清彦さん。

 池田先生の著書「38億年 生物進化の旅」(新潮文庫)
 カンブリア大爆発、恐竜の進化と、鳥の起源など、
 やや専門的ではありますが、240ページで生物の進化の過程がわかります。

「他人と深く関わらずに生きるには」(新潮文庫)
 その内容は──
・他人を当てにしないで生きる
・退屈とは人生最大の楽しみである
・自力で生きて野垂れ死のう など
 名著です。
 …………………………………………………………
 
 さて池田先生。
 Xで「国家」についてこんなことをつぶやいていた。

『国家などは実在しません。
 実在するのは今現実に生きている人々です。
 個人を超える崇高なものがあるという思想は全て幻想です。
 国家も神も全て幻想です。
 幻想は人々を幸福にする装置として機能している時は役に立ちますが、
 個人を超える存在だと錯認した途端に、個人を抑圧する装置として機能し始めます。
 タチが悪いことに、錯認している本人たちは、国家という幻想を盾に、逆らう人々を抑圧する快感に
 浸っているだけなのです。
 国家も神も概念です。
 概念は実在しないのです。
 実在するのは現象だけです。人間は概念ですが、個々の人は実在です』


 完全に同感です。
 たとえば、かつて「大日本帝国」という国家があったが、敗戦を機に「日本国」になった。
 江戸時代までは「国家」なんて意識はまったくなかった。
 21世紀のわれわれも「日本」を意識するのはオリンピックの時くらいで、
 普段はほとんど忘れている。
 つまり国家とは幻想であり、システムなのだ。
 人間が集団生活を営むために作ったシステムであり、ルールに過ぎない。

 敢えて言えば、「同じ言語」「同じ文化」を共有している集団と言えるかもしれないが、
 別に国家でなくていい。
 西洋人が来るまでのインディアンはインディアンでしかなかった。

 このことは宗教で考えてみると、わかりやすい。
 キリスト教徒は「聖書」に書かれた内容を信じているに過ぎない。
 キリスト教徒でない者から見たら、何それ? ウソっぽい、となってしまう。
 つまり幻想なのだ。

 池田清彦さんはさらにこう語る。

 幻想は人々を幸福にする装置として機能している時は役に立ちますが、
 個人を超える存在だと錯認した途端に、個人を抑圧する装置として機能し始めます。


 人は集団生活を営む上で便利だから「国家」というシステムを作った。
 だが、「個人より国家が大切だ」「国家を守るために戦場へ行け」になると、
 国家はたちまち「個人を抑圧する装置」になる。

 宗教は信じていると幸福だから信仰しているが、
「異教徒と戦え」「その行為は悪魔の行為だ」になると、たちまち「個人を抑圧する装置」になる。

 最近、日本では「国家」という抑圧が強くなっている気がする。
 政治家は声高々に「国家」という言葉を口にする。
 でも、われわれにとって大切なのは個人の生活。普通の生活。
 国家が「個人を抑圧する装置」になって来た時は異を唱えなければならない。
 主役はあくまでも「個人」だ。


※関連動画
 「イマジン」ジョン・レノン(YouTube)和訳あり


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