平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「汚れっちまった悲しみに……」 中原中也~虚無の詩である。ここには「心の原風景」がある。

2022年12月26日 | 
「汚れっちまった悲しみに……」
              中原中也

 汚れっちまった悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 汚れっちまった悲しみに
 今日も風さえ吹きすぎる

 汚れっちまった悲しみは
 たとえば狐の革裘(かわごろも)
 汚れっちまった悲しみは
 小雪のかかってちぢこまる

 汚れっちまった悲しみは
 なにのぞむなくねがうなく
 汚れっちまった悲しみは
 倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

 汚れっちまった悲しみに
 いたいたしくも怖気づき
 汚れっちまった悲しみに
 なすところもなく日は暮れる……

                   ※懈怠~けだるい
 ……………………………………

 この詩を読むと、映画『火宅の人』を思い出す。
 真田広之さん演じる中原中也がこの詩を読みながら、泥酔して雪の中を歩いていくのだ。
 映画を見た当時の僕は詩心など欠片もなかったので、
「中原中也、カッコイイ!」くらいにしか思わなかったが、妙に心に残るシーンだった。
 そして年齢を重ねて改めてこの詩を読む。

「汚れっちまった悲しみに」

 生きるとは汚れることである。
 では「汚れる」とは何か?
 それはさまざまに解釈できる。
 たとえば、
 世間ずれすることであったり、
 ずるくなったり、嘘をついたり、裏切ることであったり、
 俗物になることであったり、
 性的なものであったり、
 悪事に手を染めることであったり、
 歳をとることであったり。
 それは人によってさまざまだ。

 そんな変わってしまった自分を中也は悲しみ、途方に暮れる。
 かつてはそんな自分に絶望したが、今は疲れ果て、もはや抗うこともしない。
「なにのぞむなくねがうなく」ただ惰性で生きるだけ、毎日、日が暮れるだけ……。

 虚無の詩である。
 そして、この詩がなぜか心に引っ掛かるのは、人の『心のふるさと』『原風景』だからだろう。
 人は心の奥底にこんな風景を抱えて生きている。

コメント (7)
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