「汚れっちまった悲しみに……」
中原中也
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
※懈怠~けだるい
……………………………………
この詩を読むと、映画『火宅の人』を思い出す。
真田広之さん演じる中原中也がこの詩を読みながら、泥酔して雪の中を歩いていくのだ。
映画を見た当時の僕は詩心など欠片もなかったので、
「中原中也、カッコイイ!」くらいにしか思わなかったが、妙に心に残るシーンだった。
そして年齢を重ねて改めてこの詩を読む。
「汚れっちまった悲しみに」
生きるとは汚れることである。
では「汚れる」とは何か?
それはさまざまに解釈できる。
たとえば、
世間ずれすることであったり、
ずるくなったり、嘘をついたり、裏切ることであったり、
俗物になることであったり、
性的なものであったり、
悪事に手を染めることであったり、
歳をとることであったり。
それは人によってさまざまだ。
そんな変わってしまった自分を中也は悲しみ、途方に暮れる。
かつてはそんな自分に絶望したが、今は疲れ果て、もはや抗うこともしない。
「なにのぞむなくねがうなく」ただ惰性で生きるだけ、毎日、日が暮れるだけ……。
虚無の詩である。
そして、この詩がなぜか心に引っ掛かるのは、人の『心のふるさと』『原風景』だからだろう。
人は心の奥底にこんな風景を抱えて生きている。
中原中也
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
※懈怠~けだるい
……………………………………
この詩を読むと、映画『火宅の人』を思い出す。
真田広之さん演じる中原中也がこの詩を読みながら、泥酔して雪の中を歩いていくのだ。
映画を見た当時の僕は詩心など欠片もなかったので、
「中原中也、カッコイイ!」くらいにしか思わなかったが、妙に心に残るシーンだった。
そして年齢を重ねて改めてこの詩を読む。
「汚れっちまった悲しみに」
生きるとは汚れることである。
では「汚れる」とは何か?
それはさまざまに解釈できる。
たとえば、
世間ずれすることであったり、
ずるくなったり、嘘をついたり、裏切ることであったり、
俗物になることであったり、
性的なものであったり、
悪事に手を染めることであったり、
歳をとることであったり。
それは人によってさまざまだ。
そんな変わってしまった自分を中也は悲しみ、途方に暮れる。
かつてはそんな自分に絶望したが、今は疲れ果て、もはや抗うこともしない。
「なにのぞむなくねがうなく」ただ惰性で生きるだけ、毎日、日が暮れるだけ……。
虚無の詩である。
そして、この詩がなぜか心に引っ掛かるのは、人の『心のふるさと』『原風景』だからだろう。
人は心の奥底にこんな風景を抱えて生きている。