平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

花燃ゆ 第7回「放たれる寅」~寅次郎は逸材なれども、藩を脅かす刀

2015年02月16日 | 大河ドラマ・時代劇
 文(井上真央)の政治への関わり方が面白い。

 兄・寅次郎(伊勢谷友介)を獄から出したいと思う文。
 高須久子(井川遥)に、男には女の入り込めない男だけの世界があり、殿方の味方を見つけろ、とアドバイスされる。
 そこで、文は伊之助(大沢たかお)に相談。
 伊之助→桂小五郎(東山紀之)→水戸の御老公→周布政之助(石丸幹二)→藩主・毛利敬親(北大路欣也)という形で、文の願いが届く。

 上手い関わり方だと思います。
 これまでの大河ドラマの女性主人公の関わり方といえば、『八重の桜』の八重のように政治的なことから蚊帳の外になるか、『江』の江のように、いろいろな所にしゃしゃり出て、あり得ない形で政治に関わる、でしたからね。
 江などと比べれば、文の方がリアリティがある。

 そして、男たちを上手く動かして思いを実現する文の姿勢はラストのこんな所にも。
「わたしは学問やうれしいこと悲しいことを分かち合いたい」「にぎやかな市や、すぐれた学問所を作りたい」
 文の頭の中には、すでに松下村塾の構想ができている。

 椋梨藤太(内藤剛志)の人物像にも厚みが出てきた。

 今までは寅次郎や伊之助の単なる抵抗勢力の位置づけだったが、寅次郎が<逸材なれど、藩を脅かす危うい刀>であることを見抜き、伊之助に<刀の鞘>になれと命じる。
 これは藩を背負う重臣としては当然の判断だし、椋梨は物事を客観的に見られる人物のようだ。

 一方、伊之助は、自分の藩を「安穏と幕府に恭順を示している」と憤り、二十一回たけだけしい行為をする寅次郎について「どこまでもいくがよい」と発言するなど、過激思想の片鱗が。

 ドラマにおいて、登場人物を<正しい者>と<悪役>で描くのは容易い。
 視聴者も感情移入しやすい。
 しかし、この作品は、人物をプラス、マイナスの両面から描こうとしているようだ。
 椋梨には椋梨の正義があり、伊之助には伊之助の正義がある。

 こういうドラマは深みがあって、いいと思います。

コメント (2)
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