平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

八重の桜 第22回「弟のかたき」~両名とも山本家の男として恥ずるところはねえと存ずる

2013年06月03日 | 大河ドラマ・時代劇
 ついに八重(綾瀬はるか)が主役として登場した感じですね。
 その登場の仕方は、怒り、かたき、復讐といった負の感情。
 今までののんびりムードはなくなり、荒ぶる戦いの化身に。
 しかし、戦いの果てにあるのは、おそらく悲惨と荒廃したふるさと。
 この光景を見て八重は何を思うのだろう?

 八重が三郎の死を確認するシーンは上手い。
 三郎の死を認めたくない八重は、遺品の三郎の軍服を「こっただどこにでもある軍服」と他人のものだと思おうとする。
 しかし、袖の部分には八重が贈った南天の刺繍。
 これで三郎のものだと認めざるを得なくなる。
 上手い小道具の使い方だと思いました。

 息子たちの死を評する父・権八(松重豊)の言葉の使い分けも興味深い。
 戦死した三郎には「本懐」。
 斬首されたとされる覚馬(西島秀俊)には「無念」。
 そして、ふたりの死を評して「両名とも山本家の男として恥ずるところはねえと存ずる」。
 武家の父親ですね。
 どんなにつらくても「恥ずるところはねえと存ずる」と言わざるを得ない。
 そう言って評価してやることが息子たちへの供養であり、愛情であると信じている。
 昔は「いかに生きるか」よりも「いかに死ぬか」が尊ばれる時代だったんですね。
「本懐」「無念」「恥」は死を合理化するための言葉。

 武士の言葉は会津の評定の場でも。
「勝てば官軍。いくさに勝てば今度は自分たちが官軍になる」
「このまま朝敵の汚名を着たまま恭順するわけにはいかない」
「武士の一分を守る」
 このために会津は戦う。
 近代合理主義からすれば、封建的で非合理な論理。

 これに対し、勝麟太郎(生瀬勝久)と覚馬が近代合理主義の産物である『万国公法』を持ち出してきている所が面白い。
 万国公法は、「恭順」を敗者の当然な権利として保障する。
 一方、封建的価値観は、「恭順」を不名誉なこととして戒める。
 この時代、簡単に「恭順」した慶喜(小泉孝太郎)がそうであったように封建的価値観は崩れつつあったが、会津だけは失われていなかったようだ。
 戊辰戦争は旧来の古い価値観を破壊する戦いでもあったのだろう。

 一方、そんな武士とは対照的に商人・大垣屋清八(松方弘樹)のフットワークはずいぶん軽い。
 牢役人に賄賂を渡して、覚馬に会いにいく。
 武士ならあれこれ悩む所だが、賄賂を渡すことに何の恥もためらいもない。
 この軽さが逆に粋で、かっこいい。
 大垣屋はきっと「武士とは何と窮屈で不自由なもの」と考えていただろう。
 商人は時代の波に乗って、極めて合理的、現実的に生きていく。

 最後に今回は、佐川官兵衛(中村獅童)の上半身サービスカット!
 覚馬の時もそうだったが、なぜあそこで上半身ハダカになるのかがわからない(笑)
 そして残念ながら、獅童さんより西島秀俊さんの体の方が美しかった!!


コメント (6)
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