ラストの頼朝(岡田将生)のナレーションでこんなものがあった。
「清盛は明日を見失いかけていた」
これはどういうことだろうか?
キレて西光(加藤虎ノ介)を蹴りまくる清盛(松山ケンイチ)。
清盛の中に巣喰っていた<もののけの血>が爆発したようだ。
このシーンは、清盛が頼朝に流罪を命じ<ヒゲ斬り>を突き刺すシーンと共に描かれる。
作家はなぜここでこの回想シーンを持って来たのか?
清盛が西光を蹴りまくるシーンだけでもいいはずである。
これはこういうことではないか?
頼朝に流罪を命じたシーンでは、清盛は理性を保っていた。
激情に駆られながらも心の中はクールだった。
政子(杏)が看破したように、<ヒゲ斬り>を渡すことで頼朝に「武士の魂を忘れるな」と語っていた。
だが今回の西光のシーンではそれはない。
自分のやってきたことを<復讐>と言われ、キレた。
激情に任せて蹴りまくった。
ここには何の理性もない。
以前の清盛なら、西光の言葉を理解して、「確かにそういう面もあったかもしれない。行き過ぎだったかなぁ」と兎丸の時のように考えたかもしれない。「西光殿、それは違う」と語りかけたかもしれない。
清盛の中で、自制したり自己を顧みたりすることが失われつつある。
今まで理性と理想で抑えられていた<もののけの血>が噴出しつつある。
それは老いのせいか?
ほぼ世の頂に立ってしまったせいか?
白河院(伊東四朗)の「今まで見えなかった景色が見えてくる」という予言がよみがえる。
清盛は、頂に立った者しか見ることの出来ない景色を見つつある。
それは愛も明日もない、暴力と狂気だけが支配する荒涼とした景色。
いつ権力の座から追い落とされるかわからない不安と恐怖に脅える悪夢のような景色。
一方、明日が見え始めた頼朝のシーンは明るい。
「連れて行ってくれ。私を明日へ」
「連れて行けとは女々しいお方じゃ」
「共に参ろうぞ、まだ見ぬ明日へ」
さわやかな恋愛映画を見ているようだ。
杏さんの政子がいい味を出している。
坂道を下っていく清盛と上っていく頼朝。
このふたりのシーンを交互に描いていったことも劇的効果をあげている。
巧みな作劇だと思う。
「清盛は明日を見失いかけていた」
これはどういうことだろうか?
キレて西光(加藤虎ノ介)を蹴りまくる清盛(松山ケンイチ)。
清盛の中に巣喰っていた<もののけの血>が爆発したようだ。
このシーンは、清盛が頼朝に流罪を命じ<ヒゲ斬り>を突き刺すシーンと共に描かれる。
作家はなぜここでこの回想シーンを持って来たのか?
清盛が西光を蹴りまくるシーンだけでもいいはずである。
これはこういうことではないか?
頼朝に流罪を命じたシーンでは、清盛は理性を保っていた。
激情に駆られながらも心の中はクールだった。
政子(杏)が看破したように、<ヒゲ斬り>を渡すことで頼朝に「武士の魂を忘れるな」と語っていた。
だが今回の西光のシーンではそれはない。
自分のやってきたことを<復讐>と言われ、キレた。
激情に任せて蹴りまくった。
ここには何の理性もない。
以前の清盛なら、西光の言葉を理解して、「確かにそういう面もあったかもしれない。行き過ぎだったかなぁ」と兎丸の時のように考えたかもしれない。「西光殿、それは違う」と語りかけたかもしれない。
清盛の中で、自制したり自己を顧みたりすることが失われつつある。
今まで理性と理想で抑えられていた<もののけの血>が噴出しつつある。
それは老いのせいか?
ほぼ世の頂に立ってしまったせいか?
白河院(伊東四朗)の「今まで見えなかった景色が見えてくる」という予言がよみがえる。
清盛は、頂に立った者しか見ることの出来ない景色を見つつある。
それは愛も明日もない、暴力と狂気だけが支配する荒涼とした景色。
いつ権力の座から追い落とされるかわからない不安と恐怖に脅える悪夢のような景色。
一方、明日が見え始めた頼朝のシーンは明るい。
「連れて行ってくれ。私を明日へ」
「連れて行けとは女々しいお方じゃ」
「共に参ろうぞ、まだ見ぬ明日へ」
さわやかな恋愛映画を見ているようだ。
杏さんの政子がいい味を出している。
坂道を下っていく清盛と上っていく頼朝。
このふたりのシーンを交互に描いていったことも劇的効果をあげている。
巧みな作劇だと思う。