真之(本木雅弘)は揺れる。
海戦史上、最高の大勝利をしたにもかかわらず、その顔は晴れやかでない。沈痛だ。
日本海海戦の後の、真之の生涯は<抜け殻>のようなものだったのだろう。
「わしは少しは世の中のお役に立てたのじゃろうか」と真之は問い続ける。
横浜に連合艦隊が凱旋する時、真之は子規(香川照之)の墓を訪ねる。
凱旋の日に訪ねたというのが象徴的だ。
真之にとっては、日本海海戦での勝利は祝福されるべきものではないのだ。
むしろ真之は子規のような生き方をしたかったのかもしれない。
漱石(小澤征悦)は、文学に生きる自分の無力を感じ、軍人・真之をうらやましく思ったが、真之はその逆だったのではないか?
真之は文学に生きたかった?
そのことは後に言及される真之の文才にも現れている。
『連合艦隊解散の辞』
「武人の一生は連戦不断の戦争にして……」と書かれた真之の文章は、後の<規範となった文章>であるとナレーションは語る。
「天気晴朗なれども、浪し」も真之の文章だ。
子規が俳句を遺したように、真之も「天気晴朗なれども、浪し」という名文を遺した。
真之が『連合艦隊解散の辞』を書いたのも象徴的だ。
これで真之は、気持ちの中で<海軍>と<軍人である自分>から決別したのであろう。
その後は、最初に書いたように<抜け殻>の人生。
軍人である自分からの決別は、真之の最期の言葉にも表れている。
「皆さん、お世話になりました。これからひとりで往きますから」
何と普通の言葉であろう。
「ひとりで往きますから」は文学的であるが、「お世話になりました」は一般的な言葉。
軍人である自分から決別した真之は、普通の人間として生きたのだ。
それは死の床で「馬引け、行くぞ奉天へ」と満州の荒野をさまよった好古(阿部寛)とは対照的だ。
好古は最後の最後まで<軍人>だった。
普通の人間として生きた真之の姿勢は、子規の墓誌の言葉にも通じる。
子規の墓誌は、文学者としての自分の業績を書き綴ったものではなかった。
墓誌の草稿に描かれていたことは、100巻以上も刊行された「ホトトギス」を作り、日本の短歌を芸術にまで高めた男の生涯ではなく、月給40円をもらって新聞社で働き、病気になってからは母に養われて生きたひとりの男の姿だった。
真之も、この子規の姿勢に共感して<普通の人間>として、残りの人生を生きようと思ったのではないか。
この作品のタイトルは「坂の上の雲」。
一片の白い雲のみを見つめて、坂をのぼっていった男たちの物語。
しかし、真之は坂を下った。
真之が子規の墓参りをした後に、ナレーションはこう語る。
「子規の墓前を後にした真之は雨の坂を下った。
道は飛鳥山、川越へ通じる旧街道である。
真之はふと三笠の艦橋から見た、あの日の日本海の海原を思い出した」
坂を下った真之。
これは、無邪気に坂をのぼっていった男たちの物語の終焉を意味する。
こうして明治という時代は終わったのだ。
※追記
この作品のラストのせりふは好古の妻・多美(松たか子)の「あなた、馬から落ちてはいけませんよ」。
いろいろに解釈出来るせりふだが、陸軍大将にまで昇りつめた勇壮な好古がこんなふうに言われてしまうことが、どこかユーモラス。
結局、女性は強く、男は女性の掌の上で子供のように遊んでいるだけのように思える。
海戦史上、最高の大勝利をしたにもかかわらず、その顔は晴れやかでない。沈痛だ。
日本海海戦の後の、真之の生涯は<抜け殻>のようなものだったのだろう。
「わしは少しは世の中のお役に立てたのじゃろうか」と真之は問い続ける。
横浜に連合艦隊が凱旋する時、真之は子規(香川照之)の墓を訪ねる。
凱旋の日に訪ねたというのが象徴的だ。
真之にとっては、日本海海戦での勝利は祝福されるべきものではないのだ。
むしろ真之は子規のような生き方をしたかったのかもしれない。
漱石(小澤征悦)は、文学に生きる自分の無力を感じ、軍人・真之をうらやましく思ったが、真之はその逆だったのではないか?
真之は文学に生きたかった?
そのことは後に言及される真之の文才にも現れている。
『連合艦隊解散の辞』
「武人の一生は連戦不断の戦争にして……」と書かれた真之の文章は、後の<規範となった文章>であるとナレーションは語る。
「天気晴朗なれども、浪し」も真之の文章だ。
子規が俳句を遺したように、真之も「天気晴朗なれども、浪し」という名文を遺した。
真之が『連合艦隊解散の辞』を書いたのも象徴的だ。
これで真之は、気持ちの中で<海軍>と<軍人である自分>から決別したのであろう。
その後は、最初に書いたように<抜け殻>の人生。
軍人である自分からの決別は、真之の最期の言葉にも表れている。
「皆さん、お世話になりました。これからひとりで往きますから」
何と普通の言葉であろう。
「ひとりで往きますから」は文学的であるが、「お世話になりました」は一般的な言葉。
軍人である自分から決別した真之は、普通の人間として生きたのだ。
それは死の床で「馬引け、行くぞ奉天へ」と満州の荒野をさまよった好古(阿部寛)とは対照的だ。
好古は最後の最後まで<軍人>だった。
普通の人間として生きた真之の姿勢は、子規の墓誌の言葉にも通じる。
子規の墓誌は、文学者としての自分の業績を書き綴ったものではなかった。
墓誌の草稿に描かれていたことは、100巻以上も刊行された「ホトトギス」を作り、日本の短歌を芸術にまで高めた男の生涯ではなく、月給40円をもらって新聞社で働き、病気になってからは母に養われて生きたひとりの男の姿だった。
真之も、この子規の姿勢に共感して<普通の人間>として、残りの人生を生きようと思ったのではないか。
この作品のタイトルは「坂の上の雲」。
一片の白い雲のみを見つめて、坂をのぼっていった男たちの物語。
しかし、真之は坂を下った。
真之が子規の墓参りをした後に、ナレーションはこう語る。
「子規の墓前を後にした真之は雨の坂を下った。
道は飛鳥山、川越へ通じる旧街道である。
真之はふと三笠の艦橋から見た、あの日の日本海の海原を思い出した」
坂を下った真之。
これは、無邪気に坂をのぼっていった男たちの物語の終焉を意味する。
こうして明治という時代は終わったのだ。
※追記
この作品のラストのせりふは好古の妻・多美(松たか子)の「あなた、馬から落ちてはいけませんよ」。
いろいろに解釈出来るせりふだが、陸軍大将にまで昇りつめた勇壮な好古がこんなふうに言われてしまうことが、どこかユーモラス。
結局、女性は強く、男は女性の掌の上で子供のように遊んでいるだけのように思える。