平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

エディット・ピアフ 愛の讃歌

2009年12月04日 | 洋画
★天才というか物を表現する人というのは、感情の振幅が激しいんでしょうね。
 エディット・ピアフもそう。
 彼女は妻や子もあるボクサーのマルセルと愛し合うようになるが、愛し方が徹底している。
 ALL or NOTHING.程ほどということがない。
 マルセルが離婚できず結婚が難しいとなると酒浸りになる。
 彼がヨーロッパに遠征して会えないと、無理してでもアメリカに帰ってこいと言う。
 そして彼が死ぬとクスリに手を出す。

 しかし、こうした<徹底した愛し方>が彼女の歌う「愛の讃歌」を、人々の心を打つ素晴らしいものにする。
 何しろ愛の素晴らしさを歌うのだから、歌う自分も愛の歓びを心から感じていなければならない。それも尋常でないくらいに。
 歌はその他の芸術作品同様、内面の表現ですからね。
 心の奥底から搾り出すものでなくてはならない。
 ソウルというんでしょうか、そういったものがなければ、人の心を打つものにはならない。
 テクニックで上手く歌われる歌なんてつまらない。
 だから表現者は大きな感情の振幅を持たなければならないんでしょうね。

★この映画を見て思ったのはエディット・ピアフほど人生と歌がリンクした歌手はいないということ。
 まず彼女は自分が生まれ育った貧しい下町を歌う。
 下町の生活を知らなければ歌えない歌。
 次に先程述べた最愛のマルセルと知り合って「愛の讃歌」を歌う。
 愛に飢えた生涯を送ってきたピアフだから、その歓びは人の数十倍だ。
 そして、結果として愛に恵まれなかった自分の失意の人生をふり返って映画のラストで歌う歌。
 ピアフはクスリとアルコールで病気になり、ふらふらの中、人生の総決算としてこう歌う。

 ♪ わたしは何一つ後悔していない。
   わたしに過去は関係ない。
   またゼロからやり直せばいいの ♪

 何という強さだろう!
 死ぬ直前にインタビューを受けたピアフは穏やかにこう言う。
 「愛しなさい……」
 愛に恵まれなかった人生でありながら、なおも「愛しなさい……」と言える強さ。

 最後にピアフを演じたマリオン・コティヤールが見事!
 猫背でチョコチョコ歩く一見、小柄なおばさんだが、歌を歌わせると輝く。
 そのメリハリがすごい。
 愛するマルセルを見る時の輝く目は子供のように無邪気だし。
 大声でがなりたてるように話す姿も下町育ちのピアフそのもの。


コメント
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