わが母校の創立年数の垂れ幕をみて 多分歳のせいなのだろう 若い頃とまた違った感慨が湧いてくる。
数字を見て ひがみ根性なのか実に不思議な感覚になった。自分の年齢分 学校も歳を重ねたハズなのに…自分だけ浦島太郎のように一瞬にして老人になった…ような気分…なのである。(…学校の中の人は 年齢構成一定なのだから…当然といえば当然)
ベーコン曰く 「若い時は 一日は短く一年は長い。年をとると 一年は短く一日は長い。」のだそうだが 「一年も一日も短い」感覚の人は まったく救いようがない?ということか。
西日本の甚大な災害は 記憶に新しい最近の気象現象と被災の記録だけからみても やるべき準備はし尽くしていた…とは まったく感じられない。たくさんの時間が流れ たくさんの被災教訓を記録し 総括していた。人間(積み上げた生活の歴史と命の記録)と 列島の脆弱性を軽視し 本質の検討を避けたがる国民性と云われても…弁解の余地はないように 思うのだが…。
フォロー策は 現法令と国力で実現可能であり まことに悔しくて残念なことである。
「黒板にわが文字のこす夏休み:福永耕二」