



春到来とともに 見上げる大気には花粉や黄砂の粉塵系の勢いが増すようになってきた気配。この辺はまだ大丈夫か?とかすむ朝日を眺めても 最近知った花粉光環なる現象は見られないし わが眼耳鼻舌(ゲンニービーゼツ)もギリギリながら機能はしているみたい‥である。怪し気ながら時々鼻づまりの程度。
わが身体に直接関係しない面倒なことは できれば回避したいが なにかと天候は気になる。かすみの現象はほこりや煙も因子になるので 「もや」や霧と違い 小道具(マスク・眼鏡・薬など)の所在確認を少しだけ気にはすることになる。
陽射しが柔らかくなってきて 木漏れ日が程良いほんわかな空間を造り 草花たちは春のサインにあきらかに呼応し始めてきている。(二枚のこの春一番の花写真は 他所んちの日当たり良好地のお庭で 腕だけ伸ばして無断拝借した画像‥ナリ)
この物質界への目に見えないサインなるものは よくできているなとは思うものの 無くても困るし有っては少々混乱するし 自らが発信する際には なぜ発信しないのかも含め 広く俯瞰し よ~く考えてまとめるべき 難易度の高い大仕事である。
‥と 今回の四十九日の法要準備で 痛感するので ありました。(あまりこだわると 本質が霞んで見えなくなる?‥かも)
「遺書書けば遠ざかる死や朝がすみ:相馬遷子」