消えゆくモノ達に 世間の関心が極めて薄いのは世の常。
身辺で消えつつあるモノを思いつくままに‥挙げると‥。
街の小さな本屋。道路の白線。宝くじ売り場。昭和風喫茶店。
寡黙で頑固な職人。酒屋の角打ち(カクウチ)(当地方ではモッキリ)。
各戸の表札。北極の氷。正月のお飾り…ナドナド。
これだけ挙ても いまだ「絆」などという言葉を無神経に
使う人がたくさんいるのも また不思議。ミソクソ一緒くた
に 違いが解らないまんま 文化も消費するモノと思い違い
をしていないか?古民家再生も目先のモノの保存に囚われる
と ヒトを無視する結果となる。目指すは「人口」(ヒトの
集合)であり シャッターの降りない街区の創出や人材の育
成・継承である。なぜか地道にコツコツの人々には このご
時世 目を向けられることがまずない。メディアの責任も重
い。(‥と 思うのだが?)
東北某県で最近大規模な土砂崩れがあり悲惨な災害が発生。
原因は調査究明中ながら 土地利用改変の始まりが1970年代
と聞いて なんとなくドキッ!とした。自分がバブル期の中
必死で走り回って大汗をかいていた時代と一致し 忙しさに
紛れて まったく根拠なくどっかでボタンの掛け間違いが
あったかも?と一瞬思ったからである。とにかく‥当時は訳
も解らないままに 忙し過ぎたなぁということが頭をよぎた。
人間は一定の集合体に身をおいてこそ身も心も安定した日
常を保てる‥ということを 忘れている。「お飾り」などは
その文化的で象徴的な形態であり 日常生活への重要なヒン
トの一つ‥と思うのだが‥。(お飾り自体はあまり深刻な問
題でもないか?)
年頭にあたり静かに周辺を見わたして 貴方(自分のこと)
形に騙されてはいませんか!?と自問してみるのも イイ年
齢かも?しれない。(格言:ネタ不足は長文駄文のモト)
「かりそめに住みなす飾かゝりけり:阿波野青畝」