一枚の図がある。
気象庁気象研究所が測定している
大気中の放射性物質(90Srおよび137Cs)月間降下量の
1957年から2015年8月までの値である。
横軸が時間(年)、縦軸が放射能量(ミリベクレル/㎡/月)。
図の右の方で数値が跳ね上がっているのが、2011年3月の福島第一原発事故である。
10の7乗を超えた値が4ヶ月後には10の5乗まで下がり、
その後は10の5乗を超えることなく2015年には10の4乗を下回るまで
徐々に数値は下がっている。
次に、図の左の方へ目を転じると、10の5乗近い値が1966年頃まで約10年続き
1980年頃までは頻繁に10の3乗を超えていたことが分かる。
これらは大気圏内核実験の影響で
1962年までは米国とソ連、その後1980年まではフランスとチャイナが実験を行った。
余談になるが
チャイナの初めての核実験は1964年10月、東京オリンピックの最中だった。
場所は東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)で、
そこの住民であるウイグルの人々は避難情報などは一切与えられず
その後も繰り返される核実験で被爆し、深刻な健康被害を強いられた。
話を元に戻すと(← 青山さん風に)
つまり1950年代、60年代の日本列島には、
福島第一原発事故数ヶ月後と同程度の放射性降下物が
継続的に降り注いでいたのである。
日本から遠く離れた場所で発生した放射性物質が拡散しながら到達したのだから
日本全体が広く、同じレベルの放射性物質に曝されていたことになる。
1953年生まれの私でいえば、幼児期から小学生、中学生の時代である。
もちろん当時「放射性物質降下警報」が出ることはなく
いっぱい外で遊んで放射性物質を浴び放題。
野菜や牛乳なども今よりはずっと放射性濃度は高かっただろうが
誰も気にせずバンバン食べていたのである。
それでも健康に60歳を超えて、元気に生きている(^_^)v
同様に、日本全国津々浦々、概ね50歳以上の方は皆、
子供時代からそれなりの高いレベルで放射能を浴びてきたわけで
福島第一原発事故を放射能による健康被害という観点で見たとき
過剰に恐れることは、あまり意味が無いと言えるだろう。
さて図の中央に出ているピークは1986年4月のチェルノブイリ原発事故である。
ピークの値は10の5乗で福島事故の100分の一だが
これは発生源が観測地点(つくば市)から遠いためである。
チェルノブイリよりも福島の方が100倍も大きな事故だったわけでは無いことを
念のため付け加えておく。
この図はこちらの「環境における人工放射能の研究」で見ることができる。
気象庁気象研究所が測定している
大気中の放射性物質(90Srおよび137Cs)月間降下量の
1957年から2015年8月までの値である。
横軸が時間(年)、縦軸が放射能量(ミリベクレル/㎡/月)。
図の右の方で数値が跳ね上がっているのが、2011年3月の福島第一原発事故である。
10の7乗を超えた値が4ヶ月後には10の5乗まで下がり、
その後は10の5乗を超えることなく2015年には10の4乗を下回るまで
徐々に数値は下がっている。
次に、図の左の方へ目を転じると、10の5乗近い値が1966年頃まで約10年続き
1980年頃までは頻繁に10の3乗を超えていたことが分かる。
これらは大気圏内核実験の影響で
1962年までは米国とソ連、その後1980年まではフランスとチャイナが実験を行った。
余談になるが
チャイナの初めての核実験は1964年10月、東京オリンピックの最中だった。
場所は東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)で、
そこの住民であるウイグルの人々は避難情報などは一切与えられず
その後も繰り返される核実験で被爆し、深刻な健康被害を強いられた。
話を元に戻すと(← 青山さん風に)
つまり1950年代、60年代の日本列島には、
福島第一原発事故数ヶ月後と同程度の放射性降下物が
継続的に降り注いでいたのである。
日本から遠く離れた場所で発生した放射性物質が拡散しながら到達したのだから
日本全体が広く、同じレベルの放射性物質に曝されていたことになる。
1953年生まれの私でいえば、幼児期から小学生、中学生の時代である。
もちろん当時「放射性物質降下警報」が出ることはなく
いっぱい外で遊んで放射性物質を浴び放題。
野菜や牛乳なども今よりはずっと放射性濃度は高かっただろうが
誰も気にせずバンバン食べていたのである。
それでも健康に60歳を超えて、元気に生きている(^_^)v
同様に、日本全国津々浦々、概ね50歳以上の方は皆、
子供時代からそれなりの高いレベルで放射能を浴びてきたわけで
福島第一原発事故を放射能による健康被害という観点で見たとき
過剰に恐れることは、あまり意味が無いと言えるだろう。
さて図の中央に出ているピークは1986年4月のチェルノブイリ原発事故である。
ピークの値は10の5乗で福島事故の100分の一だが
これは発生源が観測地点(つくば市)から遠いためである。
チェルノブイリよりも福島の方が100倍も大きな事故だったわけでは無いことを
念のため付け加えておく。
この図はこちらの「環境における人工放射能の研究」で見ることができる。