日本維新の会の足立康志議員がツイッターで
憲法九条の改正に関して、
2項削除や「3項に自衛権を書く」以上は
正面から日本国憲法の平和主義を否定すべきなのに、
そうしないのは欺瞞だと
石破さんと青山さんを批判している。
そもそも平和主義ってなんだろう?
大辞林第三版では次のように説明されている。
1. 平和を至上の価値とし、その維持・擁護に最大の努力を払うべきだとする立場。
2. 一切の争いや暴力に反対する立場。
では、平和とはなんだろう?
国際関係において「平和」は戦争が発生していない状態を意味するという。
しかし戦争がなくても
食糧不足で飢えたり、凶悪犯罪が横行したり
非民主的な体制下でいきなり逮捕されたりする社会で
怯えながら生きているなら
平和とはいえないだろう。
平和とは簡単に言えば
「人間が身の危険にさらされることなく暮らせる状態」
と定義できるだろう。
そこで、歴史を振り返ると、
「平和は常に脅かされるもの」という事実に直面する。
大航海時代にヨーロッパの白人に侵略された中南米や北米大陸。
そこまで遡らなくても1950年代から
チベット、東トルキスタン(ウイグル)、南モンゴルで
平和は大きく脅かされ、それは今でも継続している。
1. 平和を至上の価値とし、その維持・擁護に最大の努力を払うべきだとする立場
に立つならば
平和を維持するために
平和を脅かすものとは闘わなければならない。
武力で平和が脅かされるなら、武力を以て抵抗する。
そうしなければ、平和は守れない。
もしも
2. 一切の争いや暴力に反対する立場
を貫くなら、平和を守ることはできないのである。
平和主義という言葉を1の意味で使うとき
2の立場は否定せざるを得ない。
一方、平和主義という言葉を2の意味で使うなら
1の立場に立つことは現実的には不可能になる。
平和主義という一つの言葉が、
実は全く相容れない二つの立場を意味するのは
とても奇妙なことだ。
私は平和主義とは、1の意味であるべきだと考える。
2は何があっても闘わないということであり
いわば無抵抗主義である。
憲法九条が作られたとき、GHQに押しつけられたのは無抵抗主義である。
それを平和主義と言いくるめられ、
今なお少なくない日本国民が
現行憲法は1の意味での平和憲法だと思っている。
日本国憲法を1の意味での平和憲法にするためには
無抵抗主義の九条二項を変えなくてはならない。
そうでなければ、我が国の平和を守れないだけでなく
世界の平和に寄与することもできない。
足立康志議員のツイッターに対しては、以下の返信をした。
-----
憲法九条二項は平和主義ではなく、無抵抗主義です。
日本語として素直に読めば、何をされても抵抗しないって事です。
ですから、二項削除も、三項で「自衛権の発動を妨げない」も、
平和主義の否定ではなく、無抵抗主義の否定です。
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憲法九条の改正に関して、
2項削除や「3項に自衛権を書く」以上は
正面から日本国憲法の平和主義を否定すべきなのに、
そうしないのは欺瞞だと
石破さんと青山さんを批判している。
そもそも平和主義ってなんだろう?
大辞林第三版では次のように説明されている。
1. 平和を至上の価値とし、その維持・擁護に最大の努力を払うべきだとする立場。
2. 一切の争いや暴力に反対する立場。
では、平和とはなんだろう?
国際関係において「平和」は戦争が発生していない状態を意味するという。
しかし戦争がなくても
食糧不足で飢えたり、凶悪犯罪が横行したり
非民主的な体制下でいきなり逮捕されたりする社会で
怯えながら生きているなら
平和とはいえないだろう。
平和とは簡単に言えば
「人間が身の危険にさらされることなく暮らせる状態」
と定義できるだろう。
そこで、歴史を振り返ると、
「平和は常に脅かされるもの」という事実に直面する。
大航海時代にヨーロッパの白人に侵略された中南米や北米大陸。
そこまで遡らなくても1950年代から
チベット、東トルキスタン(ウイグル)、南モンゴルで
平和は大きく脅かされ、それは今でも継続している。
1. 平和を至上の価値とし、その維持・擁護に最大の努力を払うべきだとする立場
に立つならば
平和を維持するために
平和を脅かすものとは闘わなければならない。
武力で平和が脅かされるなら、武力を以て抵抗する。
そうしなければ、平和は守れない。
もしも
2. 一切の争いや暴力に反対する立場
を貫くなら、平和を守ることはできないのである。
平和主義という言葉を1の意味で使うとき
2の立場は否定せざるを得ない。
一方、平和主義という言葉を2の意味で使うなら
1の立場に立つことは現実的には不可能になる。
平和主義という一つの言葉が、
実は全く相容れない二つの立場を意味するのは
とても奇妙なことだ。
私は平和主義とは、1の意味であるべきだと考える。
2は何があっても闘わないということであり
いわば無抵抗主義である。
憲法九条が作られたとき、GHQに押しつけられたのは無抵抗主義である。
それを平和主義と言いくるめられ、
今なお少なくない日本国民が
現行憲法は1の意味での平和憲法だと思っている。
日本国憲法を1の意味での平和憲法にするためには
無抵抗主義の九条二項を変えなくてはならない。
そうでなければ、我が国の平和を守れないだけでなく
世界の平和に寄与することもできない。
足立康志議員のツイッターに対しては、以下の返信をした。
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憲法九条二項は平和主義ではなく、無抵抗主義です。
日本語として素直に読めば、何をされても抵抗しないって事です。
ですから、二項削除も、三項で「自衛権の発動を妨げない」も、
平和主義の否定ではなく、無抵抗主義の否定です。
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