コレドシアターで何本も芝居を公演し、俺の芝居にも出ていただいたベテラン俳優のNさんが亡くなったという訃報を奥様から知らされる。芝居が本当に好きな人だった。実績と実力を兼ね備えた俳優なのに、ウチみたいな小さなスペースやお寺の本堂や喫茶店などでも好きな芝居をやり続けた方だった。月並みな言い方だけど、俺としてはもう一本真剣勝負させていただきたかった。桃井さん、この台本には参りましたとNさんに言わせてみたかった。でも、それが叶わぬ今、Nさんと共演したこともある女優さんに連絡して今夜は弔い酒をしようかと店に入ったら、先に来ていたスタッフのYYがいきなり「桃井さん、受かりました!」と一枚の用紙を見せる。それは彼女がまだ22歳なのに女優をやめてまでなりたかったアロマセラピーの教職資格?の合格通知だった。一月から懸命になれない勉強をしたももの、先月に行われた資格試験があまりうまくいかなかったので十中八九不合格ですと諦めかけていたみたいだったのに合格したのだからそれはそれは嬉しさ倍増いや十倍増くらいになるかも知れない。こうなると不祝儀より祝儀を優先させなくてはならない。開店前にお祝いにすき焼きを奢ることにする。ハーフボトルだけどシャンパンも開けて二人で乾杯する。一昨日昨日に続いて今日もお客さんがいなくて、このまま彼女のお祝いをずっと続けてあげてもいいやと思ったりしてそのままウイスキーも飲んだりする。でも、こういう時に限って早い時間から劇団Tの作演出家のOさんと彼の高校の同級生でN県立医大教授のKさんが来店してくれる。そして一緒にYYの合格を祝ってくれる。美人OLのJ子さんも映画プロデューサーのKさんやSミュージックのH君も祝ってくれる。YYは君は幸せな娘だ。他にお客さんは高校の同期生で内科医のH君たち、某大手企業のNさん、72歳になるのに映画カメラマンとして第一線で活躍中のYさん、いつも食べ歩きのついでに寄ってくれるAご夫妻、イチゲンのサラリーマン三人組などで三日ぶりに飲食店らしくなって、この二日間落ち込んでいた俺もちょっとだけ幸せ気分を取り返す。12時半近くに全ての後片付けを終えて店を出ようとした時、イベントスペースの方で人の気配がしたような気がした。ひょっとして?Nさんか?何度も公演したコレドシアターにNさんが来ていたのかも知れない。Nさんは以前芝居がはねた後の誰もいない真っ暗な劇場の舞台裏と云う設定でチェホフの「白鳥の歌」を何度も演じてくれたけど、今日もまた老優ワシューシャを演じていたのかも知れない「ニキータ、もう俺たちの歌は歌ってしまったんだ‥‥」歌を唄い終わったNさんとこれから歌を歌いだそうとしているYY。俺の周りに人生がクロスする。