「日本亡国論を議場に叫べども、当時政府の顧るなく、議員また心に止めず・・・(略)・・・悲む、我日本正に亡国とはなれり」(田中正造・大正2年2月4日)
足尾鉱毒事件から谷中村廃村へ進む中、常に被害民の立場から訴え続けた田中正造が、被害救済に動かぬ政府や議員に対して日本は亡国となったと言っています。被害救済に動かぬ政府や議員の姿勢は、百年経った現代の政府や国会の状況と同じではないでしょうか。
足尾鉱毒事件から谷中村廃村へ進む中、常に被害民の立場から訴え続けた田中正造が、被害救済に動かぬ政府や議員に対して日本は亡国となったと言っています。被害救済に動かぬ政府や議員の姿勢は、百年経った現代の政府や国会の状況と同じではないでしょうか。