足尾鉱毒事件は過去と事件で問題は解決したのでしょうか。いえ、そうではありません。渡良瀬川流域の荒廃した土地、谷中村廃村による避難民、様々な問題が続いています。これは、明治維新から文明開化により西欧技術の導入により生産第一主義の名のもとに官民が一体となって推し進め、その被害にあった被害民の生の声が聞き入れられなかった構造的な問題を現代まで引きずってきているのです。足尾鉱毒事件により被害が甚大になり明治政府も被害調査に動いたとき、問題の原因となっている足尾鉱山の操業停止には至らず、汚染された渡良瀬川の治水事業に変えて谷中村を廃村に追い込みます。国策事業であった鉱山事業は政府と企業との癒着問題も指摘されました。問題の本質に迫らず、対処方法で問題の本質をそらすところは昔も今も変わっていません。この構造は、その後に起きる公害問題、薬害問題にも及んでいます。今こそ田中正造に学び、活かしていく機会であると感じています。
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