1995年の薬害エイズ被害者との出会いをきっかけに薬害エイズ、薬害肝炎などの薬害問題に関わってきましたが、主には薬害被害者が裁判で原告となりその裁判支援という形ででした。薬害エイズの裁判が1996年に和解するとその年の8月から世間が解決したとの風潮の中、被害者の生活になんら変わりなく地域で薬害エイズを風化させないなめの活動を始めました。活動に関わると様々な人々と出会います。まずは被害者、患者とその家族、裁判に関わる弁護士やマスコミ関係者、国会議員や地方議会の議員、そしてまた活動を支援してくれた労働組合や諸団体の人々、様々な人々との出会いを通して、一方的に伝えるのではなく、お互いの立場を理解しながら、その中から新しい気付きが生まれてきます。それは大きくいえば生きるための工夫というもののような気がします。お互いが理解し分かち合えるから出てくる気付きーこれこそ生きる糧のようなものです。それな頭だけの一方的な理解ではありません。人と人とが出会い分かち合うことによって生まれる気付きーこれこそ生きる糧です。様々な出会いに感謝して。
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