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散歩の途中で… お腹がすいたよ~♪

散歩の途中でのスナップ。携帯替えてから普段の写真はiPhoneXs。 CanonEOS6D FUJI X70はサブに

肉汁うどん

2006-06-12 19:46:28 | 【うどん】
昨日は贅沢したので今日は粗食。
昨日作った干し貝柱出汁の冬瓜と海老の煮物の残りを冷蔵庫で冷やしておいたのが前菜。
メインは平茸と舞茸&豚バラ肉のお出汁にお揚げさんと長ネギを加えたつけ汁うどん。麺は前に買っておいた「かるかや饂飩」を使いました。写真はそのパッケージ。
一昨日のアド街でも紹介されましたが、やっぱり家のお出汁のほうが美味しいね

町長選挙

2006-06-11 20:51:04 | 本や映画の話し
奥田英朗 町長選挙 

この作家の本、初めて読んだけど面白いってゆ~か オカシイ。
なんでも直木賞受賞作「空中ブランコ」の続編とか。

「ナベツネ」をイメージさせる大日本新聞社会長の「オーナー」、「ホリエモン」としか読めないIT企業社長を描く「アンポンマン」、ど~考えても「黒木香」の「カリスマ稼業」、そして、本の題名となってるどこかの実弾が飛び交う「島の選挙」がテーマの「町長選挙」…みんな抱腹絶倒!

ビョーキかなと思って医者にかかったら、その医者の方が自分より普通じゃないと判った時の可笑しさって想像するだけで可笑しい!

早速、他の作品も図書館にネット予約入れちゃいました!

2006年4月文藝春秋社から初版刊行
(カバー写真は一部合成してあります)

鰻@尾花

2006-06-11 15:08:54 | 【和食】
日暮里から常磐線に乗り換え、南千住の駅手前で列車が左にカーブすると線路の下に見えてくる柳が目印の鰻の名店。

開店は11時30分、今日は11時20分頃に並び、なんとか1順目の最終組に滑り込みセーフ!

注文してから蒲焼が出てくるまでだいたい40分くらいかかるので、まずはお新香で一杯!


合せ酢のバランス絶妙の うざく。これで値段がもう少し安ければなぁ…


今回初めて頼んだ鯉のあらい。酢味噌でいただきます。


尾花に来ればこちらもいただかねば! ふんわりとした白焼き。


スッキリとしたタレのうな重。待った甲斐がありました!


一気呵成にいただきます!


あ~満足! 尾花に来て良かった


夕ご飯と明日の朝は粗食にしないと。。。

初物@枇杷

2006-06-10 19:45:36 | 【和食】
付きだしは「ニラ玉」
茹でたニラに醤油ベースの出汁で下味をつけ、黄味を混ぜていただきます。


メインディッシュは鰹のお刺身
若布を敷いてタップリの薬味(大葉・茗荷・針生姜・青ネギ)をトッピング。ポン酢をかけていただきます。


主食は焼きおにぎり
縮緬ジャコ・実山椒・大葉を混ぜてコンガリ焼きました。


ひと口 パクリ! う、旨い!


デザートは枇杷、初物です


昔は近所の庭になってたのを勝手にいただいたものです。(もう時効だよね

インスタントラーメン専門店

2006-06-10 14:08:01 | 日記…
今日、髪を切りながら見た少し前の「東京ウォーカー」に載っていた記事。
「有名店がひしめくラーメン激戦地、東京・中野にインスタントラーメンを専門に扱う前代未聞のラーメン店が誕生し、話題となっている。全国各地から集めたラーメンは100種を超え…」ってゆ~んで家に帰ってネットを検索。
ありました!「インスタントラーメンさくら
同紙によれば「店で注文できるラーメンはすべて袋入りのインスタントめん… ラーメンに入るチャーシューと煮タマゴは手作り。水もこだわりがあって、富士山のものを使っている…」また、コツは「茹で時間をキッチリ守ること」とか…
個人的には、そこまでこだわるなら、麺を茹でるお湯をそのままスープに使うのだけは止めて欲しいな
たぶん行くことは無いでしょうが「全国インスタントラーメン30種セット」は会社の仲間と共同購入しちゃうかも。。。

ヘルメットをかぶった君に会いたい

2006-06-10 10:08:02 | 本や映画の話し
鴻上尚史 ヘルメットをかぶった君に会いたい
劇作家として名前は知っていたが、舞台を見たこともなければこれまで著作を読んだこともなかった。たまたま新聞広告で目にとまった本が図書館の新着コーナーにあったのも何かの縁かな?
イントロは、60年代フォークの通販のコマーシャルビデオに映った、白いヘルメット(赤いテープが巻いてあったはずですが?)をかぶった女性が誰かに話し掛けている様子に、時代に乗り遅れた作者が恋慕の感情をいだき、その後の消息を尋ねるという淡い「ラブストーリー」。ところがその白ヘルの彼女は「現役=指名手配中」の革マル派の活動家で、革マル派から陰湿な「警告」を受けつつ月刊誌の「すばる」に連載したものを単行本にしたのがこの本。
鴻上氏は1958年生まれだそうで、1953より5つ下。しかし、「たった5つ」の違いが、文中に出てくる60年代末期の新宿や70年代初頭の大学キャンパスの情況、そして大袈裟に言えばその後の人生まで大きく変えることもあるんだなぁ。。。
幸いにも1953が関わった人々は内ゲバとは一線を画してきたけど、文中ではMとHと書かれている革マル派と中核派の凄惨な内ゲバは、日本の左翼運動に少なくない打撃を与えたことは間違いない。
先日知人の出版記念パーティーで、以前親交のあった仲間たちとの2次会で偶然会った元○○派の活動家(もうすぐ還暦)曰く、対立関係にあった党派から未だに「警告」が届いているとか。。。
そうした陰湿な党派を描く一方で、1978年3月26日の成田の管制塔占拠と、昨年かつての活動家たちに降って湧いた管制機器損壊に対する1億円を超える民事損害賠償(反対派農民に「政府のやり方が一方的であった」と運輸大臣が公式に謝罪していたにもかかわらず、時効直前に起こした)の暴挙に対し、全国で繰り広げられたカンパ活動への鴻上氏のシンパシーは、1953にとって大変好意的に受止めることができた。
劇作家らしくユートピア的な幻想を振りまきつつ終章としているあたりは消化不良の感が残るが、この本の最終章でも書かれている諫早湾(紙上はアザハヤ湾)干拓を通奏低音としている(らしい)「リンダ リンダ」の舞台を見てみたくなった。
2006年5月集英社から初版刊行

佐藤錦

2006-06-08 19:52:08 | 【エスニック・分類不能】
「今日のご飯」ってゆーのはチョッと変かな?とも思いますが、「初物」ですのでアップさせていただきます。当然デザート。
今日の晩ご飯は水餃子と冷やし中華。冷やし中華の具にはお馴染みの焼豚・胡瓜・トマトなどに加えてセロリを細切りにして載っけ、茹で上げた麺に胡麻タレと軽く胡麻油をまぶし、醤油ベースでいただきました。

Nicca33

2006-06-07 21:40:31 | カメラのこと
本格的に写真を撮りはじめた頃手にしたカメラが今回紹介するNicca33。

父親が写真好きであったためか、小学校低学年の頃には120フィルム(フィルム幅:61.5mm, 長さ:830mm でパーフォレーション[フィルム送りの穴]無しのフィルム)を使ったロクロク版(56ミリ×56ミリ)の「フジペット」で「写真」を撮っていた記憶がある。
その後、今は手元に無くメーカーも忘れたが、上から覗き込む二眼レフを貰ったり、35ミリレンズシャッター式のコニカSⅡを買ってもらったりしながら、徐々に写真へのめりこんでいった。

そこで今回登場するカメラだが、ニッカという戦後の一時期ライカ・コピーを生産し、その後ヤシカに合併されたメーカーの最後のカメラがこの「33」。父親から譲り受けた。
通称の39ミリのスクリューマウント=通称「ライカマウント」と、写真では見えないが距離計が別になった「2眼式」のファインダー、シャッターダイヤルがボディ上面の軍艦部の高速側と前面の低速の2軸に別れ且つ高速側はシャッターを切ると回転する「2軸回転式シャッターダイヤル」、それと今の銀塩カメラ(新しい「M型ライカ」を除く)のほぼ100%が裏蓋を開けてフィルムを装填するのに対し、底蓋を開けて「職人技」でフィルムを装填するのが古いタイプのカメラに共通の特徴。
本家「バルナック・ライカ」や日本製のコピーは巻上げがノブ式なのに対し、このニッカ33はレバー式(小刻み巻上げOK)という優れもの!また、シャッターボタンの位置が「本家」やコピーの多くがボディ後端よりの、巻上げスプロケットの上部と異なり、前寄りの自然な位置にあるのも特徴の一つ。残念ながらシャッターの最高速度は1/500秒止まり。
父親から譲り受けた当初は「銀梨子地」のいわゆる「白ボディ」であったが、高校時代に、今は名前が思い出せないプロの写真家がカメラを目立たなくするため、ブラックボディを使った上にメーカーのロゴにまでブラックテープを貼っていたという記事を読んで、自分で分解してブラック塗装を施した。

Canon FX

2006-06-05 20:55:11 | カメラのこと
1953がEOSシリーズへ転換する前の一眼レフ=Fシリーズの最後に紹介するのがこちら。
東京オリンピックの1964年発売の、キヤノンRシリーズから、絞り連動機構を一新した新シリーズ機種の第1号機。キヤノンのHPには「英文字のFlexの頭のFと末尾のXをとった型式名が採用された」とある。
当時としては画期的な、CdS素子使用の外部露出計を内蔵し、シャッタースピードに対応する適正の絞り値を読み取る方式で、高低二段階切り換え機能によりEV1~10、EV9~18の測光連動域の仕様を備えていた。
その後、Canon Fシリーズは、日本光学のNikon Fシリーズに対抗して開発されたCanonF-1から開放測光方式へと転換していく。
1953にとっては、先に購入したCanonFTのサブボディとして後年導入され、カラーとモノクロの撮り分け等に活躍し、ボディ2台・交換レンズ4本の体制が一応完成。その後某新聞の取材用に後出のNicca33や Canon P等のレンジファインダーカメラと共存していく。