プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

ドキュメンタリー映画『荒木栄の歌が聞こえる』  「沖縄を返せ」は、今は「沖縄へ返せ」

2009-05-02 20:33:33 | 政治経済
長編ドキュメンタリー映画『荒木栄の歌が聞こえる』を観た。60年時代に青春をおくった人びとにとって安保反対闘争、三井三池争議、そして“うたごえ運動”の荒木栄は忘れられない思い出であろう。2007年春、神戸在住のシンガーhizukiと、福岡県大牟田市出身の監督・港健二郎は、三井三池闘争の舞台となった大牟田市を訪ねる。映画は、1960年代、労働者として炭鉱の町・大牟田で働きながら70曲以上もの楽曲を残し、“うたごえ”で労働者を励まし続けて、38歳の若さでこの世を去った荒木栄の生涯とその魅力を北海道から沖縄まで所縁の人びとを訪ねて明らかにしていく。荒木栄がいまも、日本の平和と働く人びとの生活向上を目指す運動に携わる人びとを、代表曲「がんばろう」とともに励まし続けていることに胸が熱くなった。そしていま米軍再編の渦に巻き込まれている沖縄で、「沖縄を返せ」は「沖縄へ返せ」だと語る八重山民謡の唄者(歌手)大工哲弘さんの言葉が深く印象に残った。

映画の中で、音楽評論家・作曲家の湯川れい子さんは、「歌の力」について「歌は、地位も何もない人たちが持つ、唯一の血を流さない武器です」と語っている。そのことを身をもって実践したのが、荒木栄であった。彼の性格は、プロレタリアートの気質そのままに、情熱的で真面目で実直な人柄であったことを多くの所縁の人びとが証言している。彼の音楽の特徴は、共に働いたり闘ったりする仲間を励ましたり鼓舞しつつ、それを支える妻や子供たち誰もが歌いやすいことを心がけるものだった。
彼が作ったメロディは、日本民謡や唱歌等でよく見られる「五音音階」(ヨナ抜き音階)を主体としており、同時にメロディの(音としての)高低を、できるだけ日本語のアクセントや、歌詞の持つ感情・情景と一致させるという姿勢と相まって、広く大衆に受け入れられる素地となったものと思われる(『ウィキペディア(Wikipedia)』荒木栄)。

私は、心が萎えたり、疲れたときには、荒木栄の歌を聞くことにしている。映画に出てくる多くの所縁の人びとも矢張りそうらしい。
1ガンバロウ! 突き上げる 空へ
 くろがねの男の こぶしがある
 燃え上がる女の こぶしがある
  ■たたかいはここから たたかいは今から
2ガンバロウ! 突き上げる 空へ
 輪をつなぐ仲間の こぶしがある
 押し寄せる仲間の こぶしがある
  ■たたかいはここから たたかいは今から
・・・
作詞は森田ヤエ子さんであるが、映画ではじめて知ったのだが、“燃え上がる女の”は“燃え尽きる女の”が森田ヤエ子さんのもともとの歌詞であったが、“燃え尽きる”はよくないのではないかと言って荒木栄が“燃え上がる”に替えたらしい。面白いエピソードである。

八重山民謡の唄者(歌手)の大工哲弘さんは、沖縄の祖国復帰運動の最中には、荒木栄の「固き土をやぶりて 民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ 我らと我らの祖先が 血と汗をもて 守り育てた 沖縄よ 我らは叫ぶ 沖縄よ 我らのものだ 沖縄は 沖縄を返せ 沖縄を返せ」を知らない者はいなかった。しかし、72年の本土復帰後、みなこの歌を歌わなくなってしまったという。大工さんは、この歌を「沖縄を返せ 沖縄を返せ」から「沖縄へ返せ 沖縄へ返せ」と替えてもう一度復活させたいと語っていた
この言葉は、私の胸に痛く響いた。4月10日の衆院外務委員会で沖縄出身の日本共産党の赤嶺政賢議員が「沖縄の米軍基地は、県民の土地を強奪してつくったものだ。その土地の返還に新基地建設などの条件をつけるなど到底許されない」と批判。第二次世界大戦末期に沖縄に上陸した米軍が住民を収容所に囲い込んで武力で脅しながら、強引に基地を建設したうえ、戦後は「銃剣とブルドーザー」で県民の土地を強奪した歴史を切々と訴えていたことを思い出したからである。いま、明らかな私有地について、日本政府は米軍に代わって莫大な地代を地主に支払っている。地代を生活の糧にするするほかない地主の存在は、“アメとムチ”の沖縄そのものである。誰がこんな沖縄にしたのか。「沖縄へ返せ 沖縄へ返せ」、「ヤンキー・ゴー・ホーム」だ

60年代、スクラムを組み、一丸となってたたかう日本人がたくさんいた。荒木栄の笑顔は、みんな大事なことを思い出せと語りかけているように思えてならない。

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