プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

<小林多喜二祭>  新しい政治への探求と小林多喜二

2010-02-21 18:46:06 | 政治経済

昨日2月20日は、小林多喜二が築地署で特高によって虐殺されて77回目の命日であった。全国各地で<小林多喜二祭>が催された。私は、大阪の多喜二祭に参加した。徳畑作子さん(ソプラノ歌手)による「多喜二が愛した歌」の披露のあと、清水ただしさんが奥田憲二さんと16年ぶりにコンビを組んで漫才「現代蟹工船」を演じ会場をわかせた。一橋大学名誉教授・浜林正夫さんが“新しい政治への探求と小林多喜二”と題して講演をした。
大阪多喜二祭の特徴は、毎年、音楽や講演だけでなく、多喜二ゆかりの展示会を併せて行うことである。今年は、特に小林多喜二と山本宣治のデスマスクが初めてふたり並べて展示された。主催者によれば、大阪が日本で最初だとのことである。多喜二は、実践的唯物論の立場で、社会運動にかかわり、常に社会認識を深め、理論水準を高めながら、本業である小説の質を高めることに日夜努力を重ねた。小林多喜二は、「我々の芸術は、飯を食えない人にとっての料理の本であってはならない」と語っている。飯を食えない人に飯を食わせるためには世の中を変えなければならない。多喜二は、政治的スローガンを直接訴える政治家になるのではなく、芸術性の高い小説で大衆の政治的力量を高めることを目指した




 周知のように小林多喜二は、生命をかけて戦争と搾取に反対し続けた。多喜二たちの文字通りの献身的なたたかいによって、私たちは戦後、憲法9条と25条を手にすることができた。憲法9条と25条は、多喜二たちがたたかった「戦争と貧困」をまさに克服するすばらしい条文である。しかしながら、日本の支配階級は、戦後この憲法をないがしろにしてきたために、「戦争と貧困」の克服は今なお、現代日本社会の二大課題である。だから私たちは、毎年<多喜二祭>を開催し、多喜二の「火を継ぐ」決意を固めあうのである
多喜二の燃えるような不屈の闘志と厳しい自己批判に貫かれた生き方は、文学を志す者にとってだけではなく、すべての現代を生きる人びとに、その生き方のありようを問いかけているように思われる。
自公政権の退場で、政治の大きな前向きの変化をおこさせる機会を切り開いたが、自民党政治に代わる新しい政治を具体的にどうするかの国民的探求はすべてこれからである。選挙に勝つために、前向きの変化を示した新政権も財界、アメリカという支配階級からの巻き返しに直面して後退を繰り返している。
つねに新たな意気込みをもって仕事に取り組み、そして自分の仕事について厳しく反省し、また新たな意気込みをもって次を目指す多喜二の真摯な生き方は、新しい政治への探求を目指す私たちを常に励ましているように思えてならない。


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1 コメント

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憲法9条と25条は、多喜二たちがたたかった「戦争と貧困」をまさに克服するすばらしい条文である。 (佐藤三郎)
2010-02-22 12:02:57
多喜二祭ご参加、お疲れさまでした。

まったく同感です。
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憲法9条と25条は、多喜二たちがたたかった「戦争と貧困」をまさに克服するすばらしい条文である。しかしながら、日本の支配階級は、戦後この憲法をないがしろにしてきたために、「戦争と貧困」の克服は今なお、現代日本社会の二大課題である。だから私たちは、毎年<多喜二祭>を開催し、多喜二の「火を継ぐ」決意を固めあうのである。
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上記は浜林講演ですか、多喜二祭実行委員会の言葉ですか、それともプロメテウスさんの見解ですか。

いずれにしろ、21世紀に多喜二を語るべき論点はまさにここにあると思います。



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