プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

原爆症認定裁判 改めて問うアメリカの原爆投下犯罪

2006-05-13 17:13:46 | 政治経済
原爆症認定を求める集団訴訟の最初の判決が12日、大阪地裁でだされ、原告9人全員にたいし、認定却下は不当とする勝訴の判断が示されました。判決は、国の認定基準の限界や機械的適用をいましめるよう強く指摘し、体内に取り込まれた放射性物質による内部被ばくの影響や、被爆者の健康状況などの総合的判断を求めたもので、極めて妥当な判断です。同時に原爆症の認定は、当該被爆者個人の問題にとどまるものではありません。勝訴した原告たちの「原爆の恐ろしさを知ってほしい」という声にあるとおり「再び被爆者をつくってはならない」という政治の問題でもあります。アメリカの残虐兵器使用禁止(ヘーグ陸戦法規)違反による戦争犯罪は61年経って、いまだに裁かれていません。それどころか小泉首相はブッシュ大統領のポチを自認し、アメリカの核の傘に入るために国民の税金や財産を米軍に捧げようとさえしているのです。

1945年8月6日、9日の広島、長崎への原爆投下は米ニューメキシコ州の原爆実験場での第一回実験(7月15日)に続く二回目、三回目の投下実験でした。空中高く無駄に吹き飛ばす実験よりも、日本の人口密集都市に投下してそのすさまじい破壊力を直接人体で実験し、確認しようとしたのです。放射線が人体に及ばす影響について、米国側は原爆投下の前から把握しており、日本の被爆者は治療ではなくデータ収集の対象者とされ、軍事研究ための人体実験の資料とされたのです。ナチス・ドイツがユダヤ人を人間として扱わなかったように、日本人も米国によって人間として扱われませんでした。

「戦争を早く終わらせ、米国兵士の犠牲を少なくするためには広島・長崎の原爆投下もやむをえなかった」というアメリカの言い訳は、連合国軍最高司令官(マッカーサー)が定めた裁判所条例により設置され、文明と正義の名の下に裁くと称した東京裁判においても、裁判管轄権(当裁判所は日本国及び日本人を裁く為に設置されたのであって、それ以外の国、国民を裁く所ではない)を根拠に法の裁きを受けることもなく、日本人に押し付けられました。権力者に直ぐにおもねる日本人の卑屈な国民性、事大主義の習性がそれをたすけました。

原爆投下は米国にとっては、第二次大戦後の国際政治情勢を視野に入れた、ソ連への軍事的優位性を示す為のデモンストレーションであり、核兵器という新しい兵器の実験に過ぎなかったのです。 もし日本に対して降伏を促す為の投下であったならば、一回目の広島投下でその威力を示す目的を十分達成したはずです。なぜ二回も投下したのでしょうか。しかも僅か三日という短い間隔での投下を!
アメリカのおこなった残虐行為は、ナチス・ドイツが行った犯罪と、その残虐性、その計画性において同等です。アジア侵略での日本人の加害責任を問うことと決して相殺できるものではありません。

そしていままた、アメリカは非核保有国への核先制攻撃も辞さずと世界を暴れまわっているのです。こんな無法者をいつまでものさばらしてはなりません。日本を足場に日本の若者を手下に世界に“殴りこみ”をかける米軍再編を許してはなりません。
憲法九条を高く掲げ、すみやかな核兵器の廃絶のために国際世論をおこすことです。それが、核の恐ろしさを知る日本人の使命であり、被爆者の苦しみに応える道です



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