プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

憲法第九条と改憲策動との関係

2005-10-11 23:19:51 | 政治経済
「憲法を改正して、現状の自衛隊の存在を明記してもよい」ただし「憲法九条は変えないほうがよい」これが世論調査の多数意見のようである。しかし、現状の自衛隊の存在を追認するだけなら、共産党ですら、今「直ちに自衛隊を解散しろ」といってるわけではないから、わざわざ苦労して憲法を改正する必要はない。改憲勢力がどうしても明文改憲しなければならないのは、「憲法九条」を変えないかぎり、「量的に」いくら大きくなっても、現状の自衛隊を「質的に」一段引き上げることができないからである。したがって「現状の自衛隊のままでよい」なら、改憲は必要ないし、してはいけないのだ。結局「自衛隊が質的にいまのままでは困る」勢力が、「改憲」の策動を行うことになる。現状の自衛隊が質的に飛躍できないのは憲法第九条第二項での足枷のせいである。憲法第9条をもう一度読んでみよう。

憲法第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

第1項の「戦争放棄」は違法不正な侵略戦争を意味し、誰も自らの戦争を侵略戦争とはいわないから、足枷にはならない。第2項が存在すことから、次のような足枷が生じる。「戦力不保持」なのに「自衛隊という戦力」をもってしまった⇒実際は世界有数の戦力だけれども、普通の戦力ではなく「わが国の自衛のための必要最小限の実力組織」という足枷⇒「交戦権」(相手国兵力の殺傷、領土の占領、占領行政、中立国船舶の臨検、敵性船舶の拿捕)は持てない、急迫不正の侵害を排除するために必要やむをえない限度の実力行使のみ行えるという足枷
つまり、憲法九条が存在するかぎり、自衛隊がいくら有力な軍隊でもその交戦権は自衛のための限られた武力行使=自衛行動しかできない。海外で単独はもちろんのことアメリカとの同盟に基づく武力行使(集団的自衛権)、国連の要請による軍事行動一切ができない。自衛隊は軍隊だけれども、九条第2項の交戦権否認によって自衛のための必要最小限の実力行使のみがゆるされ、海外では「戦争ができない」という世界に類のない、その意味で「異常な軍隊」なのだ。自衛隊の要するに、戦争ができない現状を「戦争ができる」ようにするためには、自衛隊は普通の軍隊である⇒軍隊がもつ武力行使に制限はない=交戦権を持つという方向に憲法を改定するほかない。自衛隊が今のように制限された軍隊のままでよいと思うなら、改憲策動にきっぱりNOということだ。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。