プロメテウスの政治経済コラム

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大阪市職員政治活動規制条例    二番煎じゆえの“過激さが売り”の橋下流

2012-07-07 22:16:58 | 政治経済

橋下徹大阪市長が臨時市議会開会日の6日、市職員の市民的政治的自由をことごとく禁止し、違反すればことごとく懲戒免職とする条例案を提出した。橋下市長の言説・行動を見ていると、どこかで体験したことがあるという既視感とともに、他方である種の“新鮮さ”―これが大阪の人びとの人気の原因とも考えられる―を感じる。しかし、この新鮮さは、よく見てみると結局、二番煎じゆえの“過激さが売り”の橋下流に過ぎない。

 

大阪市の橋下市長が、市職員の政治活動を規制する条例案を提出した。このほか、橋下市長は労働組合との交渉内容を狭い労働条件などだけに制限する「大阪市労使関係に関する条例案」も提出した。

「職員の政治的行為の制限に関する条例案」は、禁止する行為として、勤務時間外や休日であっても、

◆集会などで公に政治的意見を述べること
◆政治的目的をもった文書、図画、音盤などを発行、掲示、配布すること
◆政治的目的をもった演劇を演出・主宰し、援助すること
◆政治的団体の表示に用いられる旗・腕章等を作成、配布すること

◆選挙で投票を依頼する電話、政治的な署名活動、政党・政治団体などへの寄付も含め、市外(区役所勤務は所属区域外)からであっても区域内にむけては禁止するなど、市職員の市民的政治的自由をことごとく禁止する。

同条例案は、禁止行為を行った職員について、「原則として懲戒処分として免職の処分」とする。

一読して、憲法19条(思想良心の自由)、21条(集会・結社・表現の自由)を蹂躙することが明白である。

 

橋下氏は、昨年11月の市長選で、前市長の平松邦夫氏を市幹部や労組が支援していたことを恨み、現行の地方公務員法には政治活動に関する罰則がないが、「条例で国家公務員と同じ範囲で地方公務員にも(罰則の)ルールを適用する」と表明していた。違反すれば、地方自治法で条例上の罰則上限である2年以下の懲役または100万円以下の罰金を科す規定を条例案に盛り込む方針だった。 ところが、市の問い合わせにたいし、総務省は、「地方公務員に国家公務員と同様に罰則を設けることは、地方公務員法に違反し認められない」と回答した。これに対し、橋下氏は、「閣議決定が(懲戒処分で)『地位から排除すれば足りる』というなら、忠実に従う。(政府は)バカですね。政治活動については原則、懲戒免職にして、ばんばん排除していく」と述べ、「懲戒免職」規定を盛り込んだ条例案を提出する方針を公言していた。

 

国家公務員であれ、地方公務員であれ、公務時間外に政治活動を行うことが自由であることは、人権保障としても、民主主義としても、当然のことである(弁護士の橋下氏がこの世界の常識を無視するとは、バカですね)。

ところが、日本ではこの世界の常識が通用しない。日本には、公務員を民間労働者と区別し、私的領域である市民生活の細部にまで奥深く入って、公務員の政治的行為を包括的・網羅的に禁止し、さらに刑事罰の対象とする国家公務員法102条1項、人事院規則14-7が厳存する。世界の先進諸国では、国家公務員の市民的・政治的自由を広く保障し、国家公務員の政治的行為に刑事罰を科すような国はひとつも存在しない。何故、こんなことになったのか。

その起源は、1948年7月22日付のマッカーサー元帥の書簡とそれを具体化したいわゆる政令201号と連合国最高司令部の一官僚ブレイン・フーヴァーの指導によるものである。橋下氏は、多くの大阪市民が期待するような新鮮な改革者でもなんでもない。なんと古色蒼然したことか!

 

橋下氏の大阪府知事時代の「実績」は何か。一言で言えば、石原慎太郎氏が東京でやったことの真似ごとにすぎない。財政破綻を強調した福祉関係財政の大胆な削減、公務員のリストラ、学校現場への日の丸・君が代の強制、これをテコにした教職員の統制、格差と選別の教育改革の強制など、どれも石原都政の二番煎じである。橋下氏が全国政治に打って出るときの「維新八策」の統治構造改革の目玉―参議院廃止、首相公選制など―は、かつて小泉純一郎氏が、進まぬ新自由主義改革強行の奇策として掲げた方針だった。そもそも「大阪都構想」1本で府市ダブル選挙にのぞみ大勝したやり方も、小泉「郵政民営化」選挙の二番煎じにすぎない。今回の地方公務員の政治的行為に刑事罰を科すアイデアも2005年の自民党「地方公務員の政治的中立性の確保のための地方公務員法等の一部を改正する法律案要綱」(2005年4月6日)からのパクリである

 

それでは、橋下氏のもっている「新鮮さ」とは何か。

それは、彼が真似した政治家たちとの時代の相違からくるどぎつさ、過激さにある。橋下氏が相手にしているのは、諸先達によってもたらされた新自由主義構造改革の痛みを現に身をもって経験している人びとである。新自由主義の政治は、福祉国家の政治とも企業社会の政治とも違って自己責任、弱肉強食の再分配切り捨ての政治であるから、民衆の統合は不安定にならざるをえない。橋下氏は、本能的に新自由主義の二つの手法を駆使する。一つは、妬みの組織化による分断の政治である。新自由主義は、被害者を相互に対立させ、矛盾の爆発を抑えようとする。橋下氏は、これの天才である。もう一つは、選挙至上主義型権威政治である。選挙に勝って「白紙委任」を取りつけたとして新自由主義政治を強行するやり方である。

 

二番煎じゆえの“過激さが売り”の橋下流で、ジリ貧大阪は、いよいよカオスに突入しつつある。


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