オリンピックを開催したいと名乗りをあげる都市の責任者が五輪の基本理念を踏みにじる発言をし、国際オリンピック委員会(IOC)が29日、竹田恒和招致委理事長に事実関係の確認を求めてきた。猪瀬知事は、4月29日には、「私の真意が正しく伝わっていない。ほかの立候補都市を批判する意図は全くなく、このようなインタビューの文脈と異なる記事が出たことは非常に残念だ。」とコメントしていたが、30日には、記者会見で、一転して、発言を撤回し、謝罪した。しかし、猪瀬知事の弁明は、「『五輪招致規範』の『規定』がよくわかっていなかった。今回の件でよくわかった。今後は『規定』を遵守する。『規定違反』は繰り返さない」ということだった。オリンピックの開催地を決めるプロセスの中で、招致立候補都市が、他の都市を批判すべきではないのは、何故か。オリンピックの基本理念を理解したうえでのことではなかった。経済の規模に関係なく、人種や肌の色、文化の違いを超えて交流し、友好と平和をかもし出す場がオリンピックである。
「不適切な発言があった」と謝罪して、さっさと幕引きを図りたいのだろうが、「これにて一件落着」とはいかないだろう。猪瀬氏の一連の発言にみられるのは、この国の支配層に見られる共通の意識構造であり、こうした人物を選んだ東京都民の責任も免れないだろう。
昨年12月、衆院選との同日選挙で行われた東京都知事選挙で猪瀬候補が史上最多の433万票を獲得し、次点の宇都宮健児氏に4・5倍の得票差をつけ圧勝したとき、正直、私は、東京都民は気が狂ったのではないかと思うくらいびっくりした。少し、政治に関心を持つ者なら、猪瀬氏と宇都宮氏の人間としての格のちがいに気付くはずだと思っていたからである。
「日刊ゲンダイ」(2013年5月1日)は、「“親分”の石原慎太郎前知事は中韓の神経を逆なでし、今度は子分がイスラム教徒を。どうしようもない師弟コンビだ」と揶揄するが、今さら気づくのは遅すぎる。
猪瀬知事は先月14日から5泊6日で、夫人同伴の上、秘書ら12人を引き連れ、自分だけファーストクラスに乗ってNYに視察旅行へ。五輪招致の協力要請も目的のひとつだったが、その合間に受けたNYタイムズのインタビューで問題発言が飛び出した(「日刊ゲンダイ」同上)。
<「アスリートにとっていちばんよい開催地はどこか。インフラや洗練された競技施設が完成していない、二つの国と比べてほしい」とほかの立候補都市に言及し、そのうえで、「時々、ブラジルみたいな初開催地があるのはいいと思う。だが、イスラム諸国が唯一共有するのはアラーだけで、互いに戦っており、そこには諸階級がある」 と述べた。さらに、「トルコは日本よりも平均年齢がはるかに若く、貧しいので子供がたくさん生まれる。日本は人口増加も止まり、高齢化が進んでいるが健康的で落ち着いた生活を送っている。トルコの国民も長生きしたいと思っているのは同じだろう。彼らは早死にしたくないのなら、日本と同様の文化を創造すべきだ」と言った>(「植草一秀の『知られざる真実』」2013年5月 1日)。(ニューヨークタイムズの全文は下記参照http://p.tl/zEks)
猪瀬知事は問題とされた発言について、「雑談がクローズアップされた」と釈明したが、今年1月に立候補ファイルを提出した際の記者会見で、同知事は「途上国は先進国のモデルを追いかけていればいい」と言い放っていた。途上国を見下す思想は、猪瀬知事の身に沁み込んだものだ。そもそも欧米がすぐれていて途上国は劣るなどというものの見方は、明治以来の日本支配層の共通した精神的病根である。こうした人物に限って、逆にアメリカやイギリスやフランス相手になると、卑屈になる。そして自国民に対しては選挙のとき以外は、傲慢である。この支配層の極端に傲慢であったり、極端に卑屈であったりする意識構造に多くの日本人がまた絡め取られてしまっている。明治以来、多くの日本人は、福沢諭吉の「一身独立して一国独立する」の「一身独立」を達成していない(だからアメリカの属国でありながら中国や韓国に偉そうな態度をとる)。そして、猪瀬のような人物が選挙で圧勝するのである。