一日経ちましたが・・・忘れてはいけない日。思い出さなければならない日です。
降伏した。負けた。だから敗戦記念日。 でも、苦しい生活が終わることを願い、制限ばかりの生活が終わることを願い、人が人を傷つけることが終わるのを願ったゆえの「終戦記念日」。私はそう思います。
戦争のない日々。戦争のない国。戦争がない世界。そうあってほしいと切に思います。
1998年に毎日新聞社より刊行された写真集『不許可写真』。
軍隊の従軍カメラマンが撮影した写真が掲載された貴重な一冊です。その名の通り軍部の検閲により、当時は一般に公開されなかった数多くの写真・・・敵地へ上陸する大隊、装置などが鮮明に映っている航空機、軍隊の進路を特定できるような風景、戦死した部下の遺骨を見送る師団、師団長や指揮官クラスたちの記念写真や敵国捕虜を捉えている写真など。
一方で、国民の士気高揚につながるものは「許可写真」として公開されているものもあり、掲載されています。
昭和12年10月。中国・上海の路地に立つ「小さい哨兵」の2枚。
たまたま、おもちゃの銃を担いで自宅近くの路地で遊んでいた所を写されたのでしょうか。
7歳の父です。
後年、毎日新聞社の編集部に連絡を取り事情を説明し、残っていたネガから新たにプリントして頂きました。
撮影カメラマンは不明、たまたま通りすがりに撮ったのか、それともカメラマンがポーズをとらせたのか、今となっては知る由もありません。父はどんな思いでカメラの前に立ったのでしょうか。戦争が激化する前ですから、純粋な子供心でもって兵隊さんに憧れていただけかもしれません。
以前 上海に居たとき聞いた話では、上海租界時代に地区によって「電柱」の形がでバラバラ(3種類)でした。
公共租界地は「四角」(英国式/木製で下に鉄枠で固定)・フランス租界地は人字型(フランス式/コンクリ制)・租界地外は丸型(コンクリ製)でした。
(この写真は公共租界地の模様)
3種類の形があるとは知らなかった!日本人が住んでいた地域は、厳密には租界ではなく、単に「居住区」だったらしいので、公共租界地とにかく同じ扱いだったのでしょうね。