林道に出た。
西登山道と東登山道の案内だけれど どっちがどのくらいかかるのかさっぱり分らない。
下調べの段階では西から登って東へ降りるコースが案内されていたけれど周回することはまだ迷っていたので
はて
やっぱこっち~~ と西コースを選ぶ
すぐ先に駐車場のような広場が見えたからね
カーブを曲り込んでまた地道を歩く。
今まで森の中だったのでちょっと嬉しい。 この辺の地理に詳しくないのであの山が何というのか解りませんが 方向から行って追分から岡崎の方へ行く方向の山でしょうか?
これヒサカキですよね?
釣り鐘のようでとても小さくて可愛い花です。
異臭がするそうですが感じませんでした。 椿の仲間だそうですが どっちかと言うと アセビとか ドウダン(葉っぱが違いますが)に似ていると思いました。
頂上が近そうです。
所々に 曲輪かな?と思える空間がありました。 黍生城の縄張りの中に入ってきているようです。
まるで石垣のように見えますが この時代に石垣はあったのでしょうか?
近づいてみると 土塁のようですが 所々に大きな石が利用されていました。
凄くしっかりしています。
このあたりでは一番高い山だそうで 足助七城のなかで一番高いところに位置するお城と言う事になります。
足助のお殿様は 飯盛山の麓にいて 家来や親戚に七城を守らせていたのですから不思議です。
高いところの方が神域という考え方があると思うからです。(近江のお城はそうでした)
本丸跡は案外広いです。
平安時代に尾張の山田重直の六男重長が足助にやってきて開いた城だそうです。
足助氏の始祖に当たるそうですから 七城の一番最初に開かれた城と言う事でしょうか?
平家に攻められて落城した後も(あれ?案外早くに城はなくなっていたんだね?)標高の高さを利用して戦国時代までいろいろな事に利用されていたそうです。
また 農耕民族らしいほっこりする行事として 旧暦の三月三日にみんなでお酒やお菓子を持ち寄って頂上で宴会をするんだって。
今は4月の初めにされるそうですが 行事は残っていて 一年を幸せに暮らせると言われているとか
昔 まだ楽しみが沢山なかった頃 私の祖父母の集落でもそういった行事が大事にされていたように思います。
山に囲まれた集落というイメージが払拭出来ないでいたので この展望はあり得ませんでした。
右手に見える山は猿投山
豊田から名古屋まではっきり見えます。
画像が小さいので 私にしか解りませんが ツインタワーが蜃気楼のように浮かんでいます。
猿投山 続く山は東谷山でしょうか?
ずっとずっと続いています。
たぶん瀬戸や春日井の方まで見えているんだろうな
岡崎方面も 三河湾も見えるよ。
塩の道を探したけれどよく見えない。
真弓山から見たとき この山がとても特徴的に見えていたのにな
今日はお天気が極上とはいかなかったので 北側はよくわからなかった。
晴れていると御岳が見えるんだって
昔の人がよその国をどうやって意識したのか不思議に思っていたけれど これだけ見えるなら ここに立ってあの地を治めたいとか思っても不思議じゃないね
尾張で兵を挙げるなどの動きがあればわかると思われます。
さて 戻りましょう。 頂上はどれだけ待っても一人ぽっち。 独り占めと思えば贅沢だけれど 誰もいないと思うと寂しい。
おにぎり二個分の休憩
帰り 少しだけ周回して帰る事にする。つまり東登山口に降りる。
その先 近岡まで降りると 車まで遠くなって面倒。
ま ゆっくりいきますわ
あるこ あるこ
私は元気ぃ~~♪
これで ミニ周回はおわり。
ただ行きの分岐まで案外ありました。
これで見落としがないかを確認しながら元来た道を戻ります。
ホオズキみたいな たこ焼きみたいな・・・・ユーモラスなこの子はホコリタケ?
ストックでちょいと突っついたらもわ~っと煙のような胞子が出てきました。
足助にも 春はすぐそこまで来ています。来週あたりには花いっぱい咲いているんじゃないかしら?
お天気は晴れたり曇ったりながらも 気温は高くぽっかぽかです。
獣も 動き出しているような気配が・・・・ かさこそ かさこそ
ん? 蛇? イノシシ?
そんなとき むこうから小さな動物がやってきます。何かを探しているようでふらふらと一心不乱
お散歩 お散歩 楽しいな~って唄が聞こえてきそうです。
気か付いてみると ありゃま 狸君ではないですか? 顔もはっきり見えて至近距離まで来たのでパチリとおもったら マクロになっている・・・・・慌てて標準似合わせたところで 狸君飛び上がって驚いて 逃げてしまいました。
結構可愛い顔していたのに
そんなこんなで楽しかった黍生の山歩き
出来る事なら 井之口から登って近岡までの周回をしたいね。 もう一度空気の澄んだ日にあの展望を楽しみたいね。
そんな事を思って つぎは おまけのカタクリ群生地です。