Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

私にとっての立山

2009-10-20 23:44:37 | 山歩き

今年は点の記の上映で立山が大人気だった。 それでも夏のお天気には恵まれず みんなこぞって行ってみたものの 剣岳には登れず あるいは滑落して悲しい結末を迎えたと言うニュースもしきり

私には無縁の山だった。絵はがきで あるいは人のレポで美しい写真を見てもさほど心動かされず。。。。地理的な距離のみならず 心の中でも遠い存在だった。

雪の大谷ウォーク? 雪の壁しか見られないんじゃないの? 草紅葉のなかを行くバス? 何だか心動かされないなぁ

それなのに今年は「とにかく行ってみよう。」と思ったのには訳がある。 まずクラブツーリズムで弥陀ヶ原の散策ツアーが計画されていた事 これは息子に言わせれば 立山初心者には願ってもないツアーだとか  それで行ってこいと言う。

Kusakouyou

そうはいっても実は弥陀ヶ原と室堂の違いも分らず 立山に行けば 剣岳が目の前に迫っているような勘違いさえしていた。

そんなとき ネット仲間のチョビ君が 長い沈黙を破ってネット復帰したかと思ったらいきなり立山のレポ

それは感動的な美しさだった。 この辺りが信仰の対象になっている事はうっすらと知っていたが まさに天上界のものと思える美しさだった。

「行こう 絶対行こう。」

そんなわけで10月9日 立山弥陀ヶ原散策の会に出発。

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この頃

2009-10-20 18:35:03 | 日記・エッセイ・コラム

前に 山歩きの記事を書いてもう一週間になる。 いくつかの山の記事を書きたいと思いながら明日 明日 やっぱ明日・・・と来てしまった。

具合悪かったわけでは無い。 どうした事か 毎日台所に立って ことこと ことこと

きっかけは 弟の起業にある。 父を亡くした頃 弟は仕事先と折り合いが悪く 止める覚悟でいた。 そんなときに父が亡くなった。 父としては弟の融通の利かないまじめさをとても心配して 逝ってしまった。

弟が小さなデイサービスの施設を作りたいと言ったとき 私は両手を挙げて賛成した。 うまく行くかどうかは 弟がやる事  父の残したものをつぎ込む事に父もきっと賛成してくれただろう。

Sora

とはいえ ずいぶん資金のいる事だった。施設は立派なのができた。

「バリアフリーではなく 子どもの頃に暮らしたような環境を取り戻して バリアアリーのなかで残っている機能を使いながら楽しく過ごしてもらいたい。」そんな事を言って出来た建物は外からは地味なものだったけれど なかは木の香りが一杯で吹き抜けの素敵な建物だった。

「失敗したら 私が店をやるから。。。」とからかってみた。

さて 人はそう集まる者では無い。 それでも ヘルパーさん看護師さんなど いつも待機していないといけない。 その食事等 私には手伝えないのか? 通うには遠すぎる。

ある日テレビを見ていてひらめいた。フードセーバー

 テレビショッピングなどした事無いけれど 思わず買ってしまった。 食材 おかずなどを 真空パックにして保存する機械だった。 2万円もするので 少々いたかったけれど

もともと 食いしん坊なので 食材を前にすると次から次へとアイデアが湧き作りたいタイプ。

ネットで見つけた1キロ380円の鳥手羽元は4キロも買って 黒酢やワインで煮る。 甘辛味とコチュジャンを入れてピリ辛味と・・・ それぞれに小分けしてパッキング。

里芋の煮物は何種類作ったか? これも湯煎したら できたての味になるはず

ビーフシチュー カレー だし巻き 煮魚 蟹シンジョ・・・・ 冷凍庫が一杯で唸りだしたら クロネコで送りだす。 娘にも送ってやろう。 あ もっと小分けすると山ご飯にも使えるな

そんなわけで 弟の役に立ちたいと思っただけのはずが何時しか缶詰工場のようにひたすら食べ物を作り出している。 そんな生活を送っていたものだから 沈没

さて これからどんな生き方をしたら良いかな? 時々姿が見えなくなったら 私は元気だよ 台所に立って 味見をしながら ごそごそやっているよ

台所と 会社の経理仕事だけで 一日1万歩以上はおかしいだろっ!

コメント (6)
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