テムテムな日常

頑張れみんな!頑張れ自分!

更生を考える

2006-09-23 | 雑談

最近は飲酒運転への風当たりが厳しくなり、以前から「飲酒運転は絶対に反対&厳罰化大賛成」だった私にとってはとても興味深い展開になりつつあります。個人的な意見を言うならば「飲酒運転事故で相手を死亡させてしまった場合はもちろん極刑に。飲酒運転が発覚した時点で免許は取り消し永久に取得できないようにする」のが理想です。厳しいかもしれないけど・・・酒好きとしては、己の罪が酒のせいにされるのが我慢ならんのですよね。アルコールは適量を楽しく飲むのがたしなみというものです。

ところで、世の中は飲酒運転の厳罰化に進んでいるようですが、この件に関して識者のさまざまな意見を見ていると、必ずしも厳罰化がいいのか、といった意見に必ずぶち当たりますよね。まぁどんな人間であっても過ちを犯すことはあるわけで、その一度の過ちを未来永劫許すことなかれ、というのはいくらなんでも野蛮すぎないか、ということなんでしょうけど・・・。

人の命という、人間の手では絶対に再生できないものを奪った場合、それがいかなる理由にあろうと「過ち」なんてレベルではないと思うのです。加害者がいくら更生しようと、いくら悔い改めようと、どんなにあがいても命だけは絶対に戻ってこないのです。

一概に「更生」といいますが、たとえば性犯罪を犯した人間の再犯率は高いと言われているにもかかわらず、更生したかどうかがうやむやなまま、姓名を伏せられて一般市民生活に彼らは戻ってくるわけですよ・・・これって非常に恐ろしいことだと思うのです。数年前に関西某所で起こった未成年による凶悪猟奇殺人の加害者は、成人した今も姓名を伏せられ、噂によると京都市内のとある精神科専門病院で通所リハを受けているとのこと・・・正直このことを知ったときには(てか、普通こういった職業には守秘義務があるのですが、人の口に戸は立てられないものです)、事件の内容を考えると子供を持つ身としては非常に怖いと感じました。なにかの拍子に、その加害者がうちの子を狙う・・・ということだって、100%ないとは言い切れないのですから。

人間のもつ可能性をを信じることは確かに大切なことですが、今の世の中、信じられることが少なくなりすぎているように思います。他人をみたら泥棒と思え、という世の中はさびしすぎる・・・だけど信じたばかりに傷つけられたり、命を奪われたりする可能性もあるのです。生きにくい世の中になったものです。