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REBUILD of EVANGELION

2007-09-03 18:19:14 | Anime(アニメ・コミック)
-EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE-



■「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

先日1日より公開されている「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」を観賞して来ました。
初日は各所で行列が出来ていたとの情報を聞き及んでいた為、無難に週明けの今日(しかも午前中の回)を選択したのですが、予想外に座席は満員に近い状態で、観賞している年齢層も非常に幅広く感じたのは、12年前来---「エヴァ」というムーブメントが造り出して来た、当然の流れと思えなくも。

さて前置きは程々に、今回の劇場版「序」の考察や感想などを書き連ねようかと思いますが…とりあえず未観賞の方もおられる点を考慮して、此処より先の文章を反転処理させて頂きます。
また、タグが有効でない端末などで御覧の場合は、普通に全文が表示されてしまいますので、ネタバレを嫌う方は此処で当記事を閉じて頂く様に願います。



<此処より先の文章は、過度のネタバレを含む内容の為、閲覧の際は十分にご注意下さい>


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□「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」

[概要]

今回の「序」で描かれるのは、TVアニメ版:第壱話「使徒、襲来」から第六話「決戦、第3新東京市」---つまり本編内における「ヤシマ作戦」までの内容に新解釈を加えつつ、踏襲するものとなっています。
それでは---あくまでも類するものとして、劇場版3部作にてリメイクされた「機動戦士Zガンダム」と同じアプローチなのかと言えば、確かに展開・構図はほぼそのままで、何処か懐かしさを感じさせるシーンは数有れど、作画面では決して使い回し(=当時の映像をリマスターする)の兼用ではなく、実質的に全カットを起こし直し、ストーリーは(おそらくは尺的な問題でカットされた部分も含めて)随所に大きな差異を見せるなど、全くの新作と考えても良い、詰まる所は公言されている通り「リメイク=作り直し・焼き直し」ではなく「リビルド=再構築(新解釈)」という位置付けなのは間違いなく。
その「再構築」の本領発揮となる場面は、クライマックスの「ヤシマ作戦」と其処に関るシーンの数々。
それについては後記するとして、対して其処までのシーンは、先述した通りに“展開・構図はほぼそのままで、何処か懐かしさを感じさせる”面が多く、ある意味では「EVANGELION:DEATH(TRUE)²」を想い起こす部分はあったものの、あえてそうした点を考えるに---この作品が、あくまでも『エヴァンゲリオン』であり、TVアニメ版と展開を異としない事による、視聴者の入り易さを重視した序盤を以って、その後の(「序」以降の「破」「急」「?」をも見据えた)徐々に展開を異とする『ヱヴァンゲリヲン』としての部分をより際立たせる為の布石なのではないかと考えられ。


[変質しているセカイ]

まず特筆すべきは、海の色が赤い点。
冒頭、侵攻するサキエルが水柱を上げるシーンでもはっきりと描かれていますが、まるで血を溶かしたがごとく真っ赤な海は、セカンドインパクトが発生した地である南極、そして旧劇場版におけるサード・インパクト後の世界そのものを想起させますが、あたかも巨人が倒れた位置を指し示すかの様に、崩壊し打ち捨てられている場所に描かれた人型や、後記する“とある人物”が発した「また三番目とはね。変わらないな君は」「会えるのが楽しみだよ 碇シンジ君」という風なセリフ、そして“月面と思しき場所”に存在する旧劇場版に繋がる要素などから察するに、ひょっとすると「ヱヴァンゲリヲン」のセカイは、既に一度補完され、それを拒絶したシンジ、或いはそれに類する人物の創り出した新世界である可能性も。
実際、旧世紀版(この新劇場版以前のTVアニメ+劇場版)では「2015年」と明確に設定された部分も、曖昧になっている印象がありますし。
そうなると「何故またエヴァに乗っているセカイを構築したのか」の様な疑問も生まれて来ますが、ミサトやレイ、或いは父・ゲンドウとの繋がりがエヴァ、そしてNERVに存在している点を考慮すれば、必要な“毒”(あくまでもシンジの主観から)的な要素として残した、それともシンジが望んだ(記憶にある)セカイに何者かが手を加えた(侵食した)新世界と仮定出来ないでもなく、だからこそNERVやゼーレのロゴが新旧入り乱れているとも考えられますが…果たして?


[使徒]

旧世紀版における使徒のナンバリングは---、

(第1使徒:アダム)
(第2使徒:リリス)
第3使徒:サキエル
第4使徒:シャムシエル
第5使徒:ラミエル

でしたが、今回の新劇場版では、サキエル以降のナンバーがひとつずつズレて設定されていて---、

第2使徒:リリス
第4使徒:サキエル
第5使徒:シャムシエル
第6使徒:ラミエル

と変更されています。
しかも対:ラミエル戦において、「我々が倒すべき使徒は残り8体」(※ラミエルを含むので、+7体=合計で13体)なるセリフが聴かれたので、その総数も変更されている模様。
この13体という設定は、現在「少年エース」誌上にて連載中の漫画版「エヴァ」における設定数と同じ(とは言え、この場合は連載上の都合から省略されたと考えるのが妥当)であるものの、その変化が大きな意味を持っているのか否かは不明。
更に、ナンバリングがひとつズレている=第1使徒か第3使徒に何者かが追加されていると考えるのが自然であり、それが先述した“とある人物”---旧世紀版における第17使徒:タブリス=渚カヲルなのか、それとも別の存在なのか…。
また、その辺りに関連しての変更か、旧世紀版ではセントラルドグマに封印されている“存在”を当初はアダムと呼称・認識していましたが、新劇場版では最初からリリス(旧世紀版では、セントラルドグマにカヲルが侵入した際に明らかになった<第二拾四話>)として扱われている点も見逃せず。
しかも、カヲルが目覚めた“月面と思しき場所”には、先述の旧世紀版でアダムとして扱われていたリリスと思われるモノ(仮面が旧作仕様)が横たわっているという…それを「実はセントラルドグマに封印されているのはアダムであり、NERVはリリスと認識している」のか、その逆か、それとも“新たに再構築されたセカイにおける、旧世界の断片”と考えるのが正解なのか。

使徒自体に関しても設定が大きく変更されている部分があり、旧世紀版ではその殲滅時、十字光の爆発を遺して消滅するか、或いはコアを破壊されて原型を遺したまま機能停止するかでしたが、新劇場版では自爆したサキエルを除き、コアが破壊されると形状が保てなくなって、まるで血の雨と思しき液体を滴らせながら溶解・消滅してしまう様に。
当然、その後には血の海が残る訳ですけど、旧世紀版ではその遺骸がサンプルとして回収(後に其処から、使徒と人類の遺伝子が非常に酷似している事が判明)されたシャムシエルまで消滅してしまった点は、物語にどう影響を及ぼすのか…もっとも初号機に突き刺さった触手がそのまま残存している為、これがサンプルとなり得る可能性は高いですが。
今回の「序」で戦闘を行った使徒の内、もっとも著しい変化があったのはラミエル。
旧世紀版では正八面体の形状のまま、一定範囲内に存在する対象に対し、強力な加粒子砲とATフィールドをもって、さながら難攻不落の要塞と化していましたが、新劇場版では更に、フル3D-CGにて製作されたモデルが攻撃・防御・ダメージ時などに様々な(あり得ない)形状へと変形し、またジオフロントを目指して伸びる円錐状のドリルも機械的ではなく、底部が伸長するものへと変更され、「ヤシマ作戦」自体の(主に描画面での)規模の大きさに比例してか、正に「新劇場版:序」のラストを飾るに相応しく、より異質で圧巻される存在になったのは間違いないかと。


[ヤシマ作戦]

「新劇場版:序」におけるクライマックスであり、“再構築”が最も顕著に表れていたのが「ヤシマ作戦」であるのは先述した通り。
超長距離からの陽電子砲による精密射撃という基本的な大枠は同じながら、其処に至るまでの過程と作戦遂行中の動きには、大きな変化が生じていました。
例えばそれは、作戦自体の規模の描き方の違いや、先に述べたラミエルの存在は然りながら---シンジにリリスの存在と、サードインパクトの危険性、そして前線で戦うチルドレン達だけではなく、NERVスタッフ全員が命懸けで一緒に戦っている事実を認識させた事であり、或いはトウジやケンスケの存在が心の支えとなった点であり、そしてミサトのゲンドウに対する直訴であり---パンフレット内で触れられていた「スタッフの『ヤシマ作戦』に対する特別な思い入れ」を加味した、これが本当の「ヤシマ作戦」だと言っても差し支えない“熱い”展開に、ただただ圧倒されるばかりでした。
ただひとつだけ欲を言えば、ラストシーン間際の「レイの笑顔」に関しては、「EVANGELION:DEATH (TRUE)²」において、確か貞本氏が作画されたと記憶しているカットを素材として使用して欲しかった点。
個人的には現在でも、あれこそがベストだと認識しているので、其処だけは譲れないかなと。


[次回予告]

エンドロール後、お馴染みのBGMとミサトのナレーションで構成された「新劇場版:破」の予告編。
ほんの僅かな時間の中に、途轍もない情報が詰め込まれていて、正直な話として驚くしかなかった訳ですが、どうやら「破」という副題のイメージ通り、旧世紀版のストーリーから逸脱した超展開が待ち構えているらしく。
弐号機、そしてアスカが登場するのは当然として、起動実験の強行により、やはり暴走してしまうらしい3号機、消滅する4号機も旧世紀版そのまま。
しかし、本来ならば量産機にナンバリングされている5号機以降のエヴァの存在が、この新劇場版では別個のデザインに再構築されている様子で、少なくとも(仮設?)5号機、6号機は「破」にて登場する模様。
それにしても「月から舞い降りる6号機」というのは一体…。
加えて、眼鏡をかけた謎の少女の存在も気になる所ですけど、ともあれまずは、2008年に公開予定とされている「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の続報を待つとしますか。

「さぁて、この次も、サービスサービスゥ!」



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反転処理、此処まで。
果たして記事を読み返してみれば、どうにも“感想 < 考察”のウェイトが強いのは否定出来ませんけど、其処は「エヴァ」という作品の持つ“考えさせる魔力(魅力)”とでも言いますか、12年前来---あの作品に一度でも触れた人間ならば、ご理解頂けるのではないかと思います。
ともあれ、そんな12年前から心酔し切っている方や、すっかり日々の忘却の彼方に追いやってしまった方、そしてまだ「エヴァ」に触れていない方も含めて---ひとつのカルチャーともなった“本物”を求めるならば、この機会に「ヱヴァ」を楽しんでみるのも良いかも知れませんよ。



■「Beautiful World/Kiss & Cry」<宇多田ヒカル>

そして、影響され易い自分。

「宇多田ヒカルがエヴァのテーマソングを歌う」と初めて聴いた時は、エヴァ=高橋洋子という半ば固定観念にも似たものから来る軽い拒否反応と、此方方面のカルチャーにも知識の明るいヒッキーがどんな楽曲を造り出すのかという興味、そんな様々な感情が入り交じり、やや複雑な心境だったのですけど、実際に聴いてみれば何処か浮遊感漂うリズムに、特段に印象的とは思えないながら、実はエヴァという作品の根底にある部分を言い得ているかもしれない歌詞。
サビ部分の強く耳に残る進行に、透明感のあるヒッキーの歌声が非常に心地良く、エンドロールにて作品の余韻を楽しむにも相応しい楽曲に仕上がっているのではないかと。
以前のアルバムに収録されていた楽曲のリミックス版「Fly Me To The Moon(In Other Words)-2007 MIX-」が、今回のマキシにc/wとして収められている辺りも、実に心憎い演出ですしね。