「人法(にんぽう)=空」というお言葉があります。
人法も空に成って始めて許される事です。
しかし、それでも「もともと人も法も空のものである」という事からいえば「今、空に成った」という事だけ間違いなのです、という事から此れも大きな「病」であるということを言わざるを得なくなるのです。
そういうのは全部「真常流注(しんじょう るちゅう)」です。
悟りという病、仏性という病、不知不識のうちに流れ出て来るのです。
「祇(只)管」【しかん】とか「このまま」というような事は全部「病気」なのです。
「無常」からいえば、そういうものにつかまれないはずです。
しかし、それがなかなか「自分のものに成らない」という事です。