活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

般若心経を考える 4

2016年01月08日 | 般若心経

「舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」

(舎利子よ この諸法は空相にして 生ぜず滅せず 垢(あか)つかず浄からず 増ぜず滅せず)

と。

 

「是諸法(この諸法)」とは、「五蘊(ごおん) [色受想行識] 」によって生ずる、有形無形の 「差別(しゃべつ)」 の万物です。

これはことごとく因縁生 (因縁果)の故に実体がないのです。

 

ですから、実体なく始終変化しているので、相(すがた)の認めようがないのです。

私たち衆生は、いつも考えに考えを重ねた生活をしていますが、どんな思想や考えにも実体はありません。

 

「不生不滅」とは、実体の認められないことをいっています。

「不」 という字は 「あらず」 という意味ではありません。

 

「不」 とは 「絶体」 という意味です。

生のまま、滅のままが真相なのです。

 

変化しつつ生ずるのです。

変化しつつ滅するのです。

 

「不」 とは、自己の無いことをいいます。

即ち「無」といってもよいのです。

 

しかし、「無い」 というのではありません。

「そのまま」と見ればよいのです。

生のまま、滅のまま、因縁あるのみです。

 

「不垢不浄」も同じことです。

「不垢」 とは、煩悩です。

「煩悩」 のまま究極して見ると、実体はありません。

そこが此の 「不」 です。

 

「不増不減」というのは、菩薩になっても増さず、凡夫にあっても滅せずということです。

 


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