活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

観念と事実5

2017年08月27日 | 法理

観念と事実が相対的にあるという事は、自分自身が残っている

ということです。

 

自分がなくなってしまうと、たくさんの「法」があったとしても、

「差別(しゃべつ)」のまま、すべてが平等なのです。

 

すべてが平等なら「差別(しゃべつ)」というものがなくなって、

本当に一切のものがなくなるのです。

 

当然、「だったら、なくなったという事が分かるのではないか」

という疑問が出て来ます。

 

「ですから、それを分かるために、あなたもお坐りになりなさいと

歴代の覚者は言うのです。そうすれば、分からないという事も

分からないがままに、うなずけることがありますよ」と、言って

いるのです。

 

 


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