道元禅師 「正法眼蔵」 に曰く、
「しるべし 仏家(ぶっけ)には教の殊劣を討論することなく
法の深浅をえらばず ただし 修行の真偽(しんぎ)をしるべし」
と。
教えというのは、いろいろな宗教があります。
そして、その宗教には、それぞれの教えがあります。
どの教えが素晴らしくて、どの教えが劣っているということを論じては、いけないということです。
あの人の 「法」 は素晴らしく深い、あの人の 「法」 はまだ浅いというようなことを話してはならないということです。
ただし、修行の真偽を知りなさいということです。
「真偽」 というのは、本当か贋物かということです。
「私は、過去にかくの如くの修行、かくの如くの経験がありました」 というのではありません。
現在、今、自分がどういう状態で坐っているか、どういう状態で修行(生活)をしているか、どういう状態でものを見たり聞いているかということが、一番問題にならないといけない訳です。
今の自分の状態が 「自己の正体を見極める」 ための 「今」 になっているか、どうか、ということのお示しです。