法、道、禅、空、如是(にょぜ)、等は全て「私達の今の様子」です。
その他に特殊なものはありません。
もし私達が「自己の正体」を見極めることによって、「社会生活」においての諸々の正しい判断とか、純粋な決定が可能になるという考えを持てば、そういう考えが間違いだということに気付いて頂きたく思います。
「修行の眼目」は「色・受・想・行・識」の中の「識」を見極める点にあります。
「識」は色々な「妄想、迷い」を生じさせます。
しかし、その同じ「識」が「自己の正体」を見極める事を可能にしていることを承知してもらいたいと思います。
要は、「識が空である」事を体得することです。
一応説明として「空」と言っているだけで、この「空」も認めることは出来ないものです。
その他に特殊なものはありません。
もし私達が「自己の正体」を見極めることによって、「社会生活」においての諸々の正しい判断とか、純粋な決定が可能になるという考えを持てば、そういう考えが間違いだということに気付いて頂きたく思います。
「修行の眼目」は「色・受・想・行・識」の中の「識」を見極める点にあります。
「識」は色々な「妄想、迷い」を生じさせます。
しかし、その同じ「識」が「自己の正体」を見極める事を可能にしていることを承知してもらいたいと思います。
要は、「識が空である」事を体得することです。
一応説明として「空」と言っているだけで、この「空」も認めることは出来ないものです。