道元禅師は柔らかに成っただけだというのです。
それでなければ衝突します。
一人柔らかに成ったということは世界が柔らかに成るのです。
関係が大きいです。
「一人」 は宇宙と種々に関係しているからです。
もし、人が 「我」 を瞋(いか)らせようとする時、「我」 はどういう関係をして
防ぐかということがあります。
それは、「大馬鹿者」 に成る事です。 そういう時は笑って迎えるのです。
とにかく一つのものです。
これによって 「貪欲」 も 「瞋り」 も出ないものです。
私たち衆生は 「瞋らぬ」 という 「柔軟心」 というものを誓おうではありませんか。
それでなければ 「唯物知り(物識り)」 になっても何にもなりません。