達磨大師は六度毒を呑まされましたが、五度までは死ななかったのです。
毒皿を石の上に投げて石の方が割れたという話があります。
達磨大師の肖像画を御覧になると、中に歯の欠けた達磨の画があります。
これは反対派が石を投げた為には歯がかけたのです。
それ程の迫害に遭っても一転の怨みもないのです。
その証拠には、彼が死ぬ時賄うということを云ったのです。
「五口相共に行く 九十にして 彼我無し」 と。
「九十」 とは卆(そつ)で 「卒」 という字の略字です。
「五口」 を合すると 「吾」 の字になります。
「吾汝と共に行かん」 ということです。
「元(本)」 は一つのものです。
怨みは無いぞ、彼我の 「差別(しゃべつ)」 は無いぞ、というのです。
キリスト教では 「汝の敵を愛せよ」 と言いますが、達磨大師には敵が無いのです。
一点の怨みも無いのです。
隙間のあるものは、どうも怨みが出て来るものです。
隙間がなければ怨む心が起こらないのです。
菩提達磨大師 2015/11/22